バンマ2019
2018年からの大きな流れがあり2019年もいろいろな事があったのですが。
去年気づいた、というか腹落ちしたことは『許し』について。
ばんまは宗教/思想団体的な面でまぁまぁ微妙に複雑な家庭で育ってて、まぁまぁいろいろな宗教やら思想団体の考えみたいなものに触れる機会が多かった人生なのですが。
キリスト教をはじめとするマンモス宗教なんかが『許し』という行為/機能をかなり重要なファクターとして取り扱うのがなんとなくわかったような気がします。
結局、人生のどこかのポイントで詰まりが生じるのは、誰かや何かを許せないからなんだなぁと感じています。
例えばばんまが何らかの理由でAさんを許せないとして、Aさんを許せる条件を挙げるとしたらなんでしょうか。って言ったらAさんが謝罪する、とかAさんがどうのこうの…となると思います。
『許し』っていうのはたぶんそうじゃなくて、対個人のスケールで考えていてはいけなくて。
ばんまがAさんを許したら、Aさんはもしかしたらその経験からBさんを許すことができて、BさんはCさんを許せて…その果てにもしかしたらZさんとばんまが何かがあったときにZさんがばんまを許せるようになる、そういう社会単位の循環なんだなと。
なんかこれ気づいた後あたりから割とかなり生きやすくなった(自分が云々っていうか、なぜか他人から異様に優しくされるようになった)ので、みなさまもぜひ心に留めておいてみてください。
まぁでも、故郷の村焼かれたりとか、どうしても許せないこと、っていうのはあると思います。
それはそれでエネルギーとして保持してればいいのだろうか?
20代までは拡散していたものが、30歳になったとたんに収束していく感じがします。
人間関係とか、考え方とか環境とかが。
まとめフェーズに微妙に入りつつある気がする。
何にせよ、小さくても大切な事柄に気付きながら生きていきたいですね。
良かれと思ってこういう話たまにすると、アムウェイ的なやつにハマったの?とめちゃめちゃ心配されます。
スピリチュアルババアには近づきつつあるかもね!
変わらず、K-POPとコスメ以外にばんまを救ってくれるものはありません。
2020年もよいお年に!