雑記20200524:私の心を差し上げます
■伝説たる所以
この度セーラームーンが無印からSまで全話配信されることになった。
ウラヌスとネプチューンが好きなのでSが観たくて、でもどうせなら無印から観てしまおうと毎週10話を消化して、今週ようやっと無印最終話まで観終わる。
非常に感銘を受けたのが、最終話で衛(というかエンディミオン?)が正気を取り戻した後にクインベリルからの攻撃を受けて死んでしまうシーン。
そもそも最終話直前でセーラー戦士がひとりひとりガチ死にするというのがまず衝撃的なのだが、最終話でうさぎは運命の相手である衛まで失う。
ここで死んだ衛にキスだろう?キス!キス!と童貞の様なコールを脳内でしてしまうが、うさぎは衛にキスをしない。
『ごめん…キス、できない…。レイちゃんも、亜美ちゃんも、まこちゃんも、美奈子ちゃんも…みんな好きな男の子とキスも出来ずに死んじゃったの…。だから…私だけ幸せな気持ちに浸るわけにはいかない…!』と言うのだ!
ボーっと観ていたが、そこでムーンスパイラルハートアタックを受けた。
少女アニメで、ここまで仁義や人情が行動原理の根本にあるものがあったのか!!
プリキュアは15年以上続いているしそれはそれで伝説なのだろうけど、存在としてセーラームーンを超せない理由をありありと理解させられてしまった。
平成初期のあの時代だからできたものもあるのだろうけど、伝説には伝説になるべく理由があるのだ。
■ビッチマグネット
テラスハウスのことで、思っていたよりショックを受けている。
当初は単純な『アンチと本人の関係性の問題』ではないな、という部分でモヤモヤしていたが、個人的な思考は徐々に花本人の人間性というものにフォーカスしつつある。
そもそも、正論に準拠しがちな人は病みやすいというか、生きにくいのだろうなと思う。
世の中の人々の行動規範とか倫理規範と正論が合致しているべきというのはあくまで理想論で、そこに上手く折り合いをつけることが社会で生きていくということだと思う。
舞城王太郎著『ビッチマグネット』で好きな一文がある。
『ああ……正論ね。正論って駄目だよね。人の怒りとかってコンロの火みたいには消えないから、うまく騙して振り回して風に当ててやって、ゆっくり鎮火させないと駄目なんだよね。テクニックが必要なんだよ。正論って一発勝負で、そんなのカッときてる人には効かないし、そうなるとその正論繰り返すことになるから同じ台詞言わされて聞かされて、何で判んないだよ何言ってんだよって結局お互いイライラし始めて感情的にぶつからざるを得なくなるよね』
僕もかつてはどちらかと言うと正論に準拠しがちな人間だったと思うが、大学生の頃に『ビッチマグネット』を読んで、正論をいかに言うかよりも正論をいかに言わずに伝えるかについて考えるようになった。
生きやすさって時代によっても変わるだろうけど、なんか研究とかもっとあればいいのにね。
■私の心を差し上げます
K-POPでは明らかに『마음(マウム)』という単語の出現頻度が高い。ように思える。
마음は心や気持ち、思いの様な意味の単語である。
最近で言えば『愛の不時着』OSTのIU『마음을 드려요(私の心を差し上げます/英題:Give You My Heart)』。
こういった慎ましい歌詞にばかり使われるのかと思えば、懐かしのPRISTIN Vの『네 멋대로(あなたの好きなように/英題:Get It』の様に強気な曲でも『네 맘속에 불을 켜(あなたの心の中に火をつけて)などという歌詞がある。(この歌では何箇所か使われてる)
Wanna One出身のパク・ジフンも『내 마음속에 저장(僕の心に保存)』という流行語を作り出したし。
僕はそもそもJ-POPをそこまで聞かないけれど、どう考えてもここまで心や気持ちという概念のワードが出ることは多くないと思う。
出現回数というより、心を受け渡したり、相手の心について言及することが少ないのかもしれない。
使うなら自分の心境について語る際が多いのではないのだろうか。
国民性の違い?心や気持ちの概念が違うような気がしています。