雑記20200618:きっと涙は音もなく流れるけれど赤裸々に
■プロトタイプ理論の夜
人の顔が思い出せない。
視覚的な記憶力はかなり良い方だと思うので、人の顔や風景はなかなか忘れない。
(反対に、名前等の文字情報はなかなか覚えないし、すぐに忘れる)
それでも思い出せない。
たぶん、いよいよ出会った人の数が多くなりすぎて脳の容量が限界に来ているのではと思う。
加えて加齢により容量自体も少なくなってきているのではないかと感じる。
生活に困るレベルで忘れたりすることはまだないので良いのだが、これが加齢か、的な戸惑いがある。
面白いのは、忘れてしまった人たちの顔を類型化していることで、Aさんの顔は思い出せないけど、顔を覚えているBさんと同じジャンルの顔だったな、というのは思い出せる。
そのうちにAさんのことを思い出すときは、Aさんの外見にBさんの顔を合成したものが想起されるようになる。
合成されるのは似た顔の芸能人の場合もある。
ひとりやふたりではなく、人生で出会った60%くらいの人の顔に、残った40%くらいの人の顔がはめこまれていく。
そんなざっくりと思いだせるくらいならいっそ細部も思い出せればいいのにと思うけど、どうがんばっても細部は思い出せず似た顔で補填される。
みんなこうなんだろうか。
これが進んだら、脳内の人の顔がすべて近しい知人十数人に置き換わってしまいそうな気がする。
どうしよう。
■あいもかわらず
飽きもせずセーラームーンの再配信を見ている。
今日時点ではR(第二期)の後半までが配信され、前半の宿敵であったルベウスを倒し、新たな敵であるエスメロードが登場。
ルベウスと、そのの配下だったあやかしの四姉妹が退場してからは少しコミカルな路線に戻る。
この、あやかしの四姉妹にまつわるエピソードがまた良かった。
セーラームーンでは敵の団体内で色恋が発生するのが常だが、四女コーアンは例に漏れずルベウスが好きである。
ルベウスはその感情を利用しコーアンを使い捨て、自暴自棄になったコーアンをセーラーマーズは『間違っていたと思うなら少しずつ直していけばいい、あなたの未来はこれから』と救い、セーラームーンの力によりコーアンは人間に浄化(?)される。
もうこの回が既に泣ける。
また、姉二人に見捨てられたベルチェは捨て鉢になるが『人間には深い愛がある』と主張するコーアンと和解し、コーアン同様に人間に浄化される。
あやかしの四姉妹は、ブラックムーン一族だったころはお互いの足を引っ張り合い決して仲が良いとは言えなかったが、敵対するセーラー戦士たちとの関わりで愛について気付くのである。
そして残った次女カラベロスと長女ペッツだが、なんだかよくわからんすごく強いブラックホール的な何かを発生させる杖みたいのをルベウスから貰い、セーラー戦士たちと対峙。
最初からこの杖使えばよくなかった?
この杖がとにかく強すぎて長女ペッツはもうお前はいらん!と次女カラベロスを攻撃し見捨てるが、セーラームーン達はそんなカラベロスにも『傷ついた人を気遣うのは当り前』と優しい声をかける。
グッとくるのは、彼女らを最終的に浄化するのはセーラームーンの力なのだが、あくまで彼女らを本人の意志で浄化されたいという精神状態まで持っていくのはセーラームーンたちの言葉なのだ。
最終的にはペッツもルベウスに捨て石だと言われ絶望、ブラックホール的な何かに吸い込まれそうなところで自分が切り捨てたはずの妹たちに救われる。
次女、長女もセーラームーンにより浄化され、全員が人間となった四姉妹は4人で化粧品の出店みたいなよくわからん商売を始めるのでした…めでたしめでたし、、となる。
もうこの過程で28回くらい泣いてる。
すごいのだ。1話25分弱、OPや変身バンク、必殺技などを流さなくちゃいけないかなり制約のある中で子どもたちに親が伝えたい、だがしかしなかなか簡単には伝えられないことを凝縮している。
信頼関係、誠実であること、人に優しくすること、筋を通すこと等々…根本にあるものがスポ根的なのだ。
プリキュアもこういった要素はあるが、どちらかと言うとプリキュアは夢を叶えることや多様性を尊重することなど、ミレニアムな価値観の方が前面に出ていると感じる。
セーラームーンの良さは設定やキャラなど由来なのかな?とずっと思っていたが、この毎回毎回の丁寧に練られた展開や脚本が信じられないくらい素晴らしい。
来週からいよいよSが配信になるのでとにかく楽しみ!生きてる!
■画面の中で生きる人々
セーラームーンだけでなく、最近はイギリスのドラマである『ダウントン・アビー』も観ている。
『ダウントン・アビー』はかつて一度観たが、非常に気に入っていて映画版のDVD発売を機にまたシーズン1からゆるゆると再視聴中である。
『ダウントン・アビー』は日本で言うなら朝ドラの様な趣があり、群像劇的な要素がかなり強い。
それから、『ダウントン・アビー』の合間に韓国ドラマの『ミセン』も観ている。
韓国ドラマには珍しいオフィスもので、プロ棋士の夢を挫折した主人公やその上司、エリートながら苦労する主人公の同期たちなどが描かれる。
こちらもどちらかと言えば主人公は没個性気味で、感情を揺さぶるドラマは周囲の人物たちについての方が多い。
最近、周囲の人々が映画やドラマを観る機会が増えたからか、おすすめの作品について教え合うことが多くなった。
その延長線上で、自分の好きな作品の傾向について分析される機会も増えた。
恐らく、僕は画面の中で登場人物たちの生活が感じられるようなドラマが好きなのだと思う。
映画はそもそも苦手で観ないのだが、それは、尺が短く舞台装置的に登場するキャラクターが多いことに起因している。
彼らには背景や、彼らの人生が感じにくい。
映画でも登場人物が少ないものや人物描写が丁寧なものは好き。
ドラマでも、登場人物にリアリティが無かったり発言に一貫性が感じられないとなんとなく冷めてしまう。
そこから何を得たいのだろう、他人の人生の追体験みたいなものをしたいんだろうか。
はい!おすすめのドラマあったら教えてください!