記録20180212:君とすきな人が百年続きますように
■3ヵ月
が経ちました。あれから。
これから。
それなりに激動だったと思う。そして、3ヵ月は節目だった。
僕はシンガポールに戻り、普段通りの日常を送っていたら体調を崩した。
夜なかなか眠れない。朝起きれない。
そして自分でも信じられないくらい情緒不安定だった。
あまりにも調子がおかしすぎてクリニックに行ったらストレス反応と診断された。
ストレス反応は、あくまで大きなストレスに対する身体の反応で。
しかしこれが3ヵ月続くならうつ病とかそういう病気に診断されますね。って言われ。
いまはもう良くなったので結局うつ病ではなかったんですが。
なので3ヵ月っていうのはひとつの節目として覚えていたのである。
人が亡くなる、っていうことの影響の大きさを知ると同時に、自分の中での亡くなった友人の存在の大きさに気づかされた、ような。
僕も正直言えば死んでしまえば楽かも、と思う瞬間は人生の中でなくはなかったし、今でも軽く死にて~とか言うときはあります。
でもやっぱり、生きなきゃだめだな、って思う今日この頃。
■お墓
たまたま日本に帰国していたので、今日お墓参りをしてきました。
お墓ってなんだか不思議な空間……ここに沢山の人の灰が埋まってるって思うと妙な気持になる。
お葬式からずっと思ってるけど、死んで冷たくなって、焼かれて骨になって灰になって、ってプロセスがもうすごいなって思う。
しかし死体を冷凍保存とかできないもんね。
改めてお墓に対面して、ドラマ『すいか』の教授のセリフを思い出してました。
『でも、お墓って人類の発明よね。死んだ人を忘れないように……でも、安心して忘れなさいって言うために作られたものだと思うわ。』
■創作物
すごく創作物に救われた3ヵ月間だった思う。
特に繰り返し観た/読んだのはドラマの『すいか』とよしもとばななの『アムリタ』。
もともと好きな2作品ですけど。
お墓のセリフもだけど、『すいか』の教授のセリフはすごく響いた。
いままで何度も観てたドラマだったけど、自分の状況で響き方が違うから創作物って面白いなぁって思う。
ドラマの舞台となる下宿・ハピネス三茶に学生時代から住み続けている教授。
第6話で死別した元恋人のリチャードがお盆に迎えにくるという教授のセリフ。死にゆく恋人に、いつか迎えにきて、と約束をしてしまった教授は若気の至りだったと気付き、迎えにきた幽霊のリチャードにまだ生きていたいことを伝えるシーン。
『生きてる人間は、留まってはいられないんです。死んだ人間みたいに、ずっと留まっていられないの。人は変わるものなのよ。私、あなたが死んだ時、この世は終わったと思ったわ。でも、終わらなかったの。私は30年間楽しかった。話したり、食べたり飲んだり、読んだり笑ったり、嘘ついたり泣いたり、励ましたり励まされたり、生きてることが嬉しかったの。ごめんなさい。私変わってしまったの。』
何度観ても泣いてしまう。
僕も、ほんとうに3ヵ月前に、世界は終わってしまったと思った。でも、終わらなかった。
明日食べるものについて考えたり、友達とクラブに遊びに行ったり、上司と喧嘩したり、生きていることも、人生も続いていった。
もちろん、価値観とかものの見方は3ヵ月前のあの日以前/以後で全く変わってしまった。けれど生活とか営みとかそういうものをまとめた人生はずっと同じような、違うようなみたいなノリで続いていく。
それから『アムリタ』。こちらは主人公の死んでしまった妹と主人公の弟が夢の中で会うシーン。弟は感受性が強くて明晰夢(ていうかそれを超えた)のような能力なんかににわかに目覚めるみたいな大筋の小説なんですが。その弟に死んでしまった主人公の妹が語り掛けるシーン。
『私はいつかまた人生をくりかえすときもあるかもしれないけど、今度は急がない。私は急いだだけ。あとは誰も悪くない。そう思ってる。由ちゃんも早熟だから気をつけて。私みたいに急がないで。お母さんの作ったごはんとか、買ってもらったセーターとか、よく見て。クラスの人たちの顔とか、近所の家を工事でこわしちゃう時とか、よく見て。あのね、実際生きてるとわかんなくなっちゃうけど、楽屋にいるとよく見えるの。空が青いのも、指が五本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人と挨拶したり、それは美味しい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。何もかもが、そうなの。飲まないと、そこにあるのに飲まないなんて、のどが渇いてしまいには死んでしまうようなことなの。』
個人的に、『アムリタ』はよしもとばななの最高傑作だと思う。キリスト教の人が新約聖書を読むみたいに、いまの自分に必要な個所を読んだりしてます。
3ヵ月前のあの日から、特に価値観が変貌したことは、日常についてだと思う。
いつか終わる瞬間がくる、のであればいかにこの日常が貴重であるか。
アムリタは甘露、命の水のようなニュアンスでこの小説では使われている。
日常のなんの意味もない営みこそがほんとうは人生の真骨頂であることが切々と書かれた小説。
少なくともこういう創作物を観ている/読んでいる間は辛い思考から逃れられたので本当に救われました。
3ヵ月間、いちばん聴いてた音楽は宇多田ヒカルかも。
特にやっぱり歌詞が良いなと思うのだけど、例えばDistanceの歌詞はほんとうにすごい。
詩なのであくまで僕の解釈ですが、人間同士の関係性について、人は近ければ良くて遠いのは悪いって思いがち。でもふたりの距離も含めてふたりの関係なのだから、遠いとか近いとかじゃなくてその距離も一緒に愛せばよくない?みたいな歌。
これを17歳くらい?の時に書いてるから宇多田ヒカルはほんとうにすごいと思う。
ここまで美しく達観できる?
Distanceを聴いてて思うのは、死んでしまった友人/生きている僕という対比の中で、その関係性は両者が死ぬまで終わらないということ。
僕は相手が死んでしまったら『関係』とは終わってしまうものだと思っていた。
それは違くて、関係性が変わるだけで、関係は続くのだ。
いなくなってしまった、死んでしまった存在の彼ともずっと関係は続く。
ごめんねとかありがとうとかなんだかんだで言ったりするわけだし。貰ったもの見て思い出したり、死んでる…死んでるっていうか違うかたちで生き続けてるっていうか。
彼は死んでる。僕は生きてる。その関係を愛しながら生きていくことが大切なのかも。
いっぱい悩んだけど、だんだん氷解してきたかも。
とりあえずはただただ生きてくしかないのかも。