Epistemicia by Banma!!

バンマのブログ。

雑記20221121:あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっとふり向いてみただけの異邦人

最近、都心に引っ越した。

一般的な定義で言えばこれまで住んでいた場所も充分に都心だったのだが、23区の比較的外側はゲイの世界では都心に値しないらしく、人々からは都心に来たねと評される。

上記『ゲイの世界でいう都心』に住んだのは約4年ぶりで、同じ都内だし同じ23区内だしでそんなに違いはないだろうと思っていた。

けれども、まぁまぁ違う。

怒っている人が多い。明らかに多い。

大声で店員にクレームを入れる客、道端で喧嘩をするカップル、路肩に車を止め罵りあう運転手たち、電話に対して早口で怒るサラリーマン。

僕は怒っている人が好きだ。自分に対して怒っていないのであればだけども。

僕が中国も中国人のことも好きなのは、とにかく街で怒っている人が多くて、世界のどの国でも得られないタイプの活力を得られるからだ。

怒りにはエネルギーを感じるし、怒るというのは自分の権利や存在を主張することだし、ただ生きていくこと以上のものを求める強い芯みたいな何かを感じさせるところが良い。

僕が心の中に存在させている大きな『諦め』みたいな感情にじんわり喝を入れてもらえる気分になる。

端的に言えば、都心はエネルギーのある人が多いように思う。

都心には都心でしか得られないものがあるなとじわじわ思っていた。

 

最近、また別の意味で都心を感じる出来事があった。

金曜日の在宅勤務終了後に即寝落ちをして目覚めたら深夜の1時前後だった。

とにかく腹が減って、でも家にあるものは食べたくなくて外食でもしようと外に出た(その時間に外食できるのも都心の利点だよね)。

最寄り駅の中心部に行くと車道に男の人が立っていた。ふらふらしてて、まるでゾンビみたいに車道に立ってた。

なんか、やばい人?と思い見過ごそうとしたが、よく見ると酔ってるだけのようで、とりあえず危ないし手を引いて歩道まで移動させる。近づくとゲボの匂い。

歩道のライトに照らされよく見ると服はゲボまみれだし目もあんま開いてないしとにかくひどい状態。くたびれた感じの若い男の子だった。

かろうじてコミュニケーションは取れたので少し聞くと、渋谷あたりで会社の人とめちゃめちゃに飲んでいて、酷く潰れたからタクシーに乗せられて、彼の家の近所であるこの場所で降ろされたそうだ。

車道に居たこととは関係がないようだが、何度も死にたい死にたいと言うので心配になり送ることにした。

近所なら家まで送るよ、と僕が言うと「お兄さん良い人だね、ウチナンチュ?」と聞く。

あ!これ!ちむどんどんでやったやつだ!と思い「違うよ、ヤマトンチュだけど」と僕は答えた。

ウチナンチュは沖縄の人が言う沖縄人のことで、ヤマトンチュは沖縄の人が言う本土の人のことだ。

なので僕がヤマトンチュと自称するのは本来の用法とは違う。

台湾の人が言う本省人/外省人と似たニュアンスがあるように僕は思っていて、単純な居住地や出身地以上に心がどこに属しているかとかそういう部分も含まれていると察する。

彼は沖縄出身らしく、道中に何度も「お兄さん、ほんとにウチナンチュじゃない?出身どこなの?」と聞いてきた。

あと、「おれはね、大金稼いで、ビッグになってね、沖縄さ戻るんだよね!」とも言っていたので内心(ちむどんどんの賢秀って結構リアリティあるキャラだったわけ…?)とも思った。

 

彼の家の玄関に着いて、ゲボまみれのジャケットのポケットから鍵を探してあげ、本当に携帯も財布も貴重品も全部カバンに入っているかを確かめさせ、そのまま僕は帰路についた。

去り際に連絡先を聞かれたのでLINEを教えると、翌朝に電話がきた。

おぼろげに記憶はあったようで、謝罪とお礼を告げられ、「おれね、酒ウツになるんですよ」と話をされた。

僕は『酒ウツ』という言葉を知らなかったけど、要するに酔うとダウナーになるタイプなのだろう。たぶん。

なぜか電話で30分近く話し、彼が沖縄から出て東京で頑張っているが、同時に色々と苦労していることもよくわかった。

死にたいと言っていたのは常日頃そう思ってるわけではなくて、彼が言うところの『酒ウツ』のせいだと確認できたので良かった。

通っているジムも同じだしまたどこかで会うだろうとか、家が近所だしいつか飲みに行こうとかそんな話をして終わった。

東京に、というか都心にいると本当に面白い出会いがあると思う。

ただ単に面白いと言うとなんとなく意図がブラーされてしまうけど、想定しない出会いがあるというニュアンスが近いように思う。

田舎なら全くないとかそういう話ではなく、やっぱり人が密集している地帯ならではの出会いみたいなものか確実にあると感じる。

彼は恐らく(というか確実に)ノンケだし、そもそも好みでもないので何をどうこうとは思わないが、単純に人として、自分が普通に生活している中で交わらないタイプの人間なのが良かった。

僕の周りに居る沖縄出身の人は良くも悪くもインテリだからなのか、沖縄や沖縄の人をあまり好きではない人が多いから、地元の沖縄が大好きで、沖縄のことを想いながら東京で頑張っているというテンプレート的かつドラマティックな背景にほだされた。

 

電話で「おれ、昨日、絶対にお兄さんに、お兄さんがウチナンチュかどうか聞きましたよね?」と彼が言う。

聞かれた、と答える。

顔の話だと思っていたし、実際に僕は南国っぽいニュアンスのある顔だからそういう文脈なのだと思ってた。

「おれね、良い人に会うとね、みんなウチナンチュだと思っちゃうんですよ。だから、お兄さんも良い人だし、ウチナンチュかって聞いただろうなって思って」

善人はすべて同郷人という地元観にも心を打たれた。

僕は北関東の何の特徴もない地方都市で育ったし、それも15歳までだったので一切の郷土愛がない。

同郷人に対して、地元が同じである以上の感情は持たないし、ましてや善人と同郷人がイコールになる感性には雷が落ちた時くらいの衝撃を受けた。

年もひと回り近く離れていたし友達になったりするわけではないと思うけど、頑張ってほしいしなんとなく心の中で応援したい、一番近い最近のワードで言うなら『推し』みたいな存在が増えてしまった瞬間だった。

東京を代表する存在って、大金を稼いでタワーマンションに住むユーチューバーでも、ひっそりと低層マンションに住む芸能人でも、本当に現実に存在するかもわからない経営者とかでもなくて、彼のような人たちなんだろうなって思わされた出来事だった。

僕も頑張ろうって思ったよ。