雑記20170911:映った鏡のいくつものヒビに文句も言えずに
最近めちゃめちゃヨガやってる。ヨガババアか、ってくらいやってる。
週6とかで、1日2クラスとか取るのでヨガとはいえ終わると脚がくがく。
でもいい。
暇だし。ドラクエもダウントンアビーもそんな何時間も続かないし。
ヨガは運動としてもいいんだけど、なんか自分を労わったり、自分を大切にしたりする概念が盛り込まれているのがすごくいいと思う。
自分を大切にするって結構先進的な思想だと思う。特に東京を一時離脱した今だからそう思う。
時間とか、お金とか、精神的な余裕とかないとできないし、やろうとも思わないし。
自分を大切にしている、と言うと自分のピアス穴を触ってしまう。
シンガポールはピアスの穴が開いている人も多いし、刺青を入れている人も多い。
日本とは比べ物にならないくらい多い。それが先進的なのかどうかはわからないけど。
台湾や香港に居た時も、ピアスや刺青をしている人は多かったと思う。
日本より確実に多いし、割と軽いノリで刺青とかもいれちゃう。
『今が良ければいい』的な思想がかなり強いと思う。
僕も左耳にピアスの穴が開いていて、それは約10年前に台湾にいたときに開けたものだ。
台湾人の友達にすごく軽いノリで誘われ、その時は周りに日本人もいなくて考える余地もあんまりなくてそのまま開けてしまった。
その数年後に、日本で、付き合っていた彼氏にピアスの穴が開いていることについて言われたことがあった。
『ピアスを開ける奴とか、刺青を入れる奴とか、自分を大切にしていない人間の証拠だ』と。付き合ってる人にわざわざそういうこと言うかな。
彼は結構典型的なザ・日本人というタイプの人で、僕も、あ、日本人は自分を大切にしているからピアスや刺青のハードルが高いのかな、と思わされた。
その彼は日本的な企業に所属して、家族関係とかも含めゲイであることに相当悩んで不眠症になっていたけど、彼が本当に自分を大切にしていたのかはいまでもよくわからない。
確かに、『自分を大切にすること』って国籍とか民族で相当に乖離がある概念だと思う。
日本では、和の中にいる自分を保つことが一番強いのかなと感じることがある。
ピアスや刺青を入れるときの文句で一番多いのは『親から貰った体に』だと思う。
僕は特に刺青を入れたいわけではなかったけど、そこに、親とはいえ、他者が出現することが不思議でならなかった。
他者との関係性上におかれている自分や、他社から見た自分をいかに健やかに保つかみたいな部分が強いと思う。
やりたいことをやること、よりやるべきことをやること、が自分に直結すると考えられている気がする。これはこれで一つの正解なのかな。
もちろんこれは人によっても違うし、最近の若い人は特にもっとアバンギャルドな価値観で生きてると思う。
中華系の人の多くの思想は共産主義とか社会主義の国家思想に影響を受けていると感じる。
結局共産主義や社会主義は個を失わせる思想なわけで、そこに身を置いていた人は『自分』という概念が比較的希薄になる。
『自分を大切にする』ことが困難になりがちなバックグラウンドを持った人が多い。
そこにそもそも現世至上主義な道教の教えが加わっているからより刹那的になりがち。
とか、推測推察でしか言えないけど、でも、そもそもあんまり彼らはピアスを開けたり刺青を入れることについて自分を大切にしてないとは思ってない。と思う。
逆に自分を誇る手段のひとつにしているのかな、とか思ったりする。
彼らにとっての自分を大切にすることっていうのは、今その時の自分を最大限に誇れるようにすることなのかなと思う。
誇る、手段はそれぞれだと思うけど。そこにはやりたいことをする、っていうのが含まれている場合が多い。それも正解だと感じる。
日本でもいまモリモリとありとあらゆる手段で『自分を大切にする』ことを啓発することが流行ってるし、そもそも健康ブームとかもその一環だし。
変換期なのかなと感じる。『自分』に直結するものなのでそれぞれの答えがあっていいと思うのだけど。そもそも『自分を大切にする』ことについてもっとみんないろいろ考えたらいいのになーと思う。
他者から見た自分も大切だけど、自分にとっての自分も大切だし。
日本人がそういうバランス感を得ていく時代のような気がします。
ちょっと今回散漫な感じになってしまった。。。