Epistemicia by Banma!!

バンマのブログ。 Twitter : banmac

記録20171115:涙色の花束を君に

僕はその日『ルポールのドラァグレース』を観ていた。

それは週末で。その週はなんとなくパッとしない週で、金曜の夜に新しいクラブに行ったりしたけどそれでもパッとしなくて、とりあえず家に居た気がする。ただ落ち着かなかったのか、虫の知らせみたいな何かだったのか今でもわからないけど。とりあえずなんとなくザワザワしてた気がする。クラブに行く途中で友達に『ルポール~』の話を聞き、行ったクラブの壁にルポールの名言"If you can’t love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?"が書いてあってこれは運命かもしれないと土日観続けていた。

 

ら。

 

日本の友人から連絡があった。

共通の友人が、亡くなったとのこと。

亡くなった友人はゲイで、連絡をくれた子はその彼氏だった。

 

亡くなった人のことは友人というか、何かもっと複雑で複合的な関係だった気がする。干支一回りくらい年上ではあるけど、なんとなく気が合ったのか、家に招いて飯を振る舞ってくれたり、みんなで旅行に出かけたり、たまにゲイナイトに遊びに行ったり、誕生日を祝ったり。母であり兄であり友人でありなんだりかんだりみたいな……自分がゲイとして生きる指針みたいな感じの人だった様な気がする。これからのことはわからないけど、きっとああいう人は僕の人生において空前絶後的な存在なんだろうなと思う。

僕は20歳くらいで遊びに出るようになって約8年間新宿界隈をブラブラしてたけど、その直近半分以上を共に過ごしていたし、もちろんこれからも一緒につるんでいくものだと思ってた矢先。

 

あんまりその後数日のことはきちんと思い出せないけど、宙に浮いたみたいに現実感がなくて、セロファンか何かを通して世の中を見てるみたいだった。悲しい、というかそれ以前にあまりよくわからなくて受け入れられなくて理解ができなくて無感情だったような。たまたまシンガポールに来ていた共通の友人と話をして会社にも話をして帰国の手配をして。知らせを聞いた日曜日の数日後、葬儀の当日の早朝ギリギリに着く便。

知らせを聞いた日曜日から、ずっと眠れなかった。夜、寝ようとしても目がギンギンなのだ。興奮状態というのかなんなのか、年上の人が不眠で~みたいな話をしてても僕は無縁だなと思うくらいに僕は眠りについて悩むことはなかった。でも、こういうことか…!って思った。寝れない、ってこういうことなんだ。人生ではじめての経験である。いまいち眠りにつけない日は目を閉じて、人生で最も観ているであろう映画『八日目の蝉』を脳内で再生する。(業が深いな……)いつもは中盤(劇団ひとり井上真央を抱くあたり)にいく前に寝てしまうのに、この数日間だけは脳内で何度も再生した。でも寝れなかった。

 

不眠も初体験だったけど、お葬式も初体験だった。正確には、小さい頃一度だけ、会ったこともない親族の葬儀に参加したことがある。遺影の顔は知らなくて、ただ母親に大人しくしているよう言われ、火葬されたお骨を知らない大人と一緒に長いお箸で持った、断片的な記憶。でも、きちんと知ってる人のお葬式ははじめてだった。

着るものとか、作法とか、持ってくものとか言うべきこととか、とにかくググったけどよくわからない!なんかもう流派?宗派?とかすごいいろいろあるしこれはすべきとかしなくてもいいとか人によって違うこと言ってるしその割に最終的には気持ちとか言うし!大変!これもプチパニックだった。そもそも喪服なんて持ってない。

いろいろ考えた挙句ネットでレンタルした。レンタル喪服。レンタル数珠。最近はなんでもあるな…って。あと伸ばしてた髭も剃った。

 

日本に向かう深夜便でも寝られず、日本に着いたらフワフワとスーツに着替えて葬儀場に向かう。現実味とかなかったけど、小さなお寺に着いたら、衝撃を受ける。

当たり前なんだけど、亡くなった友人の名前が入口に掲げられてあったから。

あ……え……本当なんだ……みたいな。いや当たり前なんだけど。でも猜疑心?というかこういうこの受け入れ難い!みたいな時の変な感情はなんていう名前なんだろう、なんかそういう感情がちょっと氷解してその中にある悲しい!がむき出しになる。

でもやっぱちょっとまだわけわかんない。本当?え?嘘?悲しい!よくわかんない!悲しい!本当?みたいな。回転寿司みたいにいろんな感情がバンバン流れてくる。やばい。どのお皿も食べたくない。

 

受付は訃報を連絡してくれた友人で、もともと頭の中で受付の人にご愁傷様ですとかこの度は残念な云々とか言う言葉を考えてたのに、何も言えなかった。恋人を亡くした友人にそんな定型文で何かを言うべきなのかがわからなくなって。それと、受付の後ろ側の座敷に控えてる参列者たちが座って項垂れてる姿。こんなに沢山の人が会して悲しんでいる姿を見るのははじめてだった。共通の友人も多かったから、知ってる人も沢山いた。その光景を見て頭の中が真っ白になってしまった。何も言えないまま座敷に通され、時間が来て、告別式を行う部屋へ通される。

 

お寺の入り口で受けたものと同じ種類の、でもその数百倍の衝撃を受ける。

遺影。

数か月前にシンガポールに行く僕の送別会をしてくれた。昔の誕生日会。みんなの誕生日会。離島に旅行に行った時のこと。スノボに行ったこと。2人乗りのリフトでした秘密の話。食べる顔。服を買いに行ったこと。旅行先でみんなで夜遅くまで話した時のこと。カラオケ。自転車に乗る姿。

すべて憶えてる。生きていた時の姿がありありと思い出せるのに、写真の中の友人は動かなかった。証明写真みたいな、スーツを着た姿で、生きてた時と同じ顔なのに動かなかった。

遺影が、お花に囲まれていて。住職が出てきて念仏を唱える。

 

この時の感情は、一生忘れない。

 

僕は、あまりにも衝撃的で泣くこともできなかった。

『死』がそこにあったから。

いままで頭の中でただの概念とか、ただの知識だったそれが現実になって、目の前に現れて、経験に変わってしまったから。その気まぐれさとか唐突さとか、圧倒的な存在感とか、いままで絵空事みたいに語られてた『死』が自分の中に入ってくるような感覚だった。その日まで、その瞬間まで僕が自分の中に抱えていた一切とはベクトルが全く違う概念だったと思う。暗い暗い絶望で、それは、深淵の端っこを撫でるような気持ちで。

大好きな小説によしもとばななの『アムリタ』がある。毎月のように読み返しているのだが、主人公の女友達が、親のコネで入った会社の上司と不倫をして、その上司の妻に包丁で刺されて怪我をする。その時のことを、その女友達が『いつも金属のピアスや指輪を身に着けているのに、刺された時ばかりは包丁が、自分とは違う素材であることに気づいた』と語るシーンがある。

異物感だった。大好きな小説のその部分を思い出しながら、自分の中に入ってくる『死』に対する異物感を抱えていた。いままでの人生で見てきた、感じてきた、触ってきた、どれとも違う、圧倒的な異物感。

衝撃で、それは今まで感じたことがないくらい大きな気づきの衝撃で、締め付けられるように頭が痛かった。ロキソニンを持ってないことを後悔するくらい頭が痛かった。

死ぬことは、ただ終わることじゃない。もっと膨大で、広大な様々を内包した現象。

自分の人生が終わるまでの時間を以てしても語りつくせない何か。

 

いつの間にかご焼香が始まる。前の人の真似をして、途中でふと顔を上げて遺影を見る。遺影と目が合う、ような気がする。動かない。あっ、死んでしまったんだ。居なくなってしまった。亡くなってしまった。終わってしまった。表現はなんでもいいんだけど、ついに何かが腹落ちする。やばい。いままででいちばん悲しい。

ご焼香は長い列になっていて、いつまでも終わらなかった。親族の方、友人、会社の人、友人、友人、会社の人、友人、友人、友人……友人多いな。僕たちだけじゃなく、本当にいろいろな人に愛されてた事実もまた胸を打つ。不謹慎かもしれないけど自分が死んだ時にこんな風に沢山の人が訪れるのだろうか?と疑問に思うくらい沢山の人がご焼香に来ていた。悲しい。悲しい。悲しい。大変である。

 

次はお花を……と係の人に案内される。棺桶を花でいっぱいにするのだそうだ。白と青のお花を受け取り棺桶に近づく。あ、宇多田ヒカルの歌、と思った。涙色の、花束を君に。『涙色』っていうのはこういうことだったんだろうか。宇多田ヒカルが母、藤圭子の葬儀について歌ったと言われている『花束を君に』。この日から、何度聴いても悲しくて涙が出る。

棺桶。遺体。白くて、ちょっと生きてた時より瘦せた顔。

もう話せないんだ、声も、僕を呼ぶ声とかみんなを呼ぶ声とか。思い出せるのに。

生きてること。ご飯を食べることとか寝ることとか、話すこととか働くこととか。すごく貴重なことなんだと思う。いつか、それができなくなる日が来るのだから。

何を言えばいいのかわからないまま手を合わせる。

ご焼香と同じで、お花も沢山の人が並んだ。手を合わせた人、見ていた人、話しかけた人、泣き崩れた人。死は等しく訪れるのに、死の解釈は皆違う。皆、どう思いながら、どう感じながら今日を迎えて、ここにいるのだろうか。

 

最後に棺桶を霊柩車まで運ぶ。親しい友人、ということで棺桶を持たせてもらった。

棺桶は冷たくて重くて、切なかった。

 

離れてく霊柩車。散り散りに帰る参列者。片付けが始まるお寺。

お祭りの終わりみたいだった。

 

それから、僕は昼も夜も沢山ご飯を食べて、その日の夜、数日ぶりに眠った。

暗くて深い、この世の終わりみたいな眠りだった。

その日からは、毎日眠れるようになった。

 

お葬式の翌朝、早く起きてしまって、亡くなった友人が住んでいたマンションまで行った。何度も何度も遊びに行って、飯を食わせてもらった場所。

もうここにみんなで集うことがないこと。

たくさんの思い出だけは、楔みたいに残っていること。

打ちひしがれてしまってその場で大泣きした。

ひとりで、早朝の都心で。いままで泣いたことがないくらいに泣いた。

人が居なくなることの悲しさをはじめて本当に知った。

 

亡くなった友人が僕に与えてくれた沢山のものを忘れないようにしながら、それを他の誰かに与えながら、きちんと生きていこうと思った。

生きて、生きて、一生この日のことを忘れない。

雑記20171017:今宵ダンスと共に

約3ヶ月前からひっそりシンガポールに移住してるんですが。
なんかこのブログそういうのないっていうか。
おすすめのスポット!とか現地在住だから知ってるスポット!
とか書いたりしたらきっとアフィも審査通って(昔、様々な規約に反してるとのことで審査に落ちました。笑)もっとブログ書く気にもなるのかしら??
なんだかもったいない!!
と、思いつつもめんどくさくて迎合できないでいるばんま。

しかしこの前結構海外移住っぽいな、っていうイベントがあり。

 

 

 

イスラム教徒の男とセックスした。

 

 

……イエス、ゲイセックス。

 

 

 

その人はマレー系の人なんだけど。
おじいちゃんの世代がインドネシア人で、その代から移住してきたらしい。
もともと僕は薄い顔も濃い顔も別に好きで。
でも薄い顔中華系の男の子って結構スカしてて。
イケメンならまだいいんだけど。え?あなたが?みたいな子もそこそこにスカしてる。
濃い顔マレー系の子はイケメンは少ない(失礼)んだけど、みんなフレンドリーで可愛い。

結局約3ヶ月も居るけどアプリとかで会ったのは2人だけ。
それなりの数メッセージしてるけど、みんなスカしててとにかくメッセージが続かない。
特に中華系の子。
メッセージが続いてもなんかずっとスカしててこっちがモヤモヤしてしまい会う気にならない。
この国にいる中華系の子はプライド高いのかなって思う。
でもマレー系の子はもうちょっとノリがいい。けどすぐセックスに誘う感じ。

とにかくそんなこんなで。
渡航後2人目のリアルでそのマレー系の子と会い。
事に至る流れとなったのですが。

 

致した後に、今週、Deepavaliという祝日があり。
ああいうの祝うの~?って軽く聞いたら。

 

『え、僕、ムスリムだよ』

 

 

 

えっ……!!??

イスラム教徒……!!!!?

 

 

えっ、やばくない??

処刑されない??
ピロートークとかしてる場合??

 

 

って聞いたら、大丈夫らしい。
もっと厳格なイスラム国とかならわかんないけど。とのこと。

 

そもそもシンガポールではムスリムとか関係なく同性愛行為は違法らしいけど。
そもそも同性愛行為とはなんなのか、、とか思うよね。
アラブ系の人とか、ノンケなのに男同士で手をつないでたりするし、、
一応罰金らしいけど、殆どの場合摘発されたりとか、刑罰が執行されることは少ないみたいだけど。
シンガポール自体の話は置いておいて。

 

でもまあそうか、処刑とかされるならそもそもアプリなんかしないよね。

でも、死後、地獄に落ちて業火で焼かれるらしい。
え~……?
まあでも死後ならまだいいのかなって感じかもって思うよね。

僕も自分が何教なのかわかんないけど、死んだら地獄に落ちるな~って思うし。
セックスもするし。酒も飲むし。
嘘もつくし。きっと何かもっと悪いことしたりしてるのかな。贅沢とかもだめかな。
現代の人なんてきっとみんな地獄に落ちちゃうよね。
その後の刑がどうなるかはきっと人それぞれだろうけど。

 

イスラム教徒もいろいろあるらしい。
シーア派とかスンニ派とかいるもんね。
シーア派スンニ派イスラム教の教祖みたいなムハンマドの死後、後継者問題で対立する。
キリスト教もいろいろあるし、僕が知らないだけで仏教とか神道もいろいろあるんだろう。

そもそもやっぱりイスラム国だと厳しいけど、多民族多宗教国家はそうでもないみたい。

穏便派イスラム教徒。

 

話してたらマザーテレサの話とかするし。
やばない?テレサカトリックの女じゃない??って言ったの。
単純に偉人として話題に出すのはいいって。
マザーテレサは宗教に関係なく、っていうか相手の宗教を尊重して患者を扱ったらしいし。

 

星座とか聞かれて。僕しし座だけど、何座?みたいな。
えっ、神様以外に星の方向とかも気にしてたら大変じゃない?って言ったの。
キリスト教徒も星座占いが好きなやつは多いだろうって。まあそうね。

 

最終的に、その子に、
ばんまが何教徒なのか自覚がないことは、きっとばんまの神様に失礼じゃない?
祈ったりするでしょう?試験の時とか、悪いことが続く時とか。神様に。
僕も一応戒律やぶってるけど、きっと同じくらいだめなことだよ。
って言われて。

 

あ~って思った。僕、何か宗教に目覚めちゃうのかしら。
イスラム教徒の人がゲイセックスしてて驚いちゃったけど、僕たちが自分の神様に無自覚なのも同じくらいだめだよって。

とはいえばんまの神様フリースタイルだから戒律とかなさそうだしな~(予測)


セックスして自分の神様の正体について考える、人生初の機会でした。
ちょっとセックスアンドザシティっぽいエピソードですね。

ちゃんちゃん。

ドラマ20171010:GIRLS S1

こまめにブログ書こう♪って決心してから1ヵ月くらい放置してました。

有言不実行っぷりは墓場まで一緒なのかもしれないです。

 

唐突なんですが、女性向けアメリカンドラマ(雑な分類だな)の金字塔、セックス・アンド・ザ・シティの放送開始は1998年でした。ほぼ20年経っても変わらず愛されているのは流石です。

今更僕がストーリー説明することもないと思うんですが、NYで恋に仕事にがんばる4人の妙齢女子の物語です。

恋や仕事以上に、女性としてのライフイベントに焦点を当てていた点がウケたのかな、と思います。

ちなみに映画版の3はサマンサ役の方が難色を示し製作はなくなったとのこと。

僕も自分だったら60近くでセクシー(しかもお笑い)担当をやるのははちょっと嫌かな、と思います。

 

その後、The O.C.デスパレートな妻たちグレイズ・アナトミーなど様々なドラマがヒットするものの、ポストSATC的な存在は出現せず。

そんな中2007年にゴシップ・ガールが放送開始。

 

ゴシップ・ガールは僕も好きで、特にシーズン1は何度も観返してるくらい好きです。

個人的にはポストSATCって言ってもいいなと思っているんですが、どうなんでしょう。

あらすじとしては、NYの高級住宅街エリアであるアッパーイーストサイドのセレブ高校に通うセレブ高校生のセレブな日常~~~~~!!みたいな感じです。

やっぱり高校のこぢんまりした感じが良いのですが、途中から大学進学もします。

ゴシップ・ガールのよくできてるな、と思うところは、基本的に登場人物が超大金持ちなので(金持ちじゃない子もいるけど)、基本的に欲しいものはお金で買えないもの(イコール、人の心)なところです。

セレブ高校生の日常!とか言ってなんだかんだ主軸は色恋なところがよいですね。

シーズン1とかは人の心の移り変わりがすごく良くて見るたびに違う登場人物に感情移入しちゃいます。

脚本もすごい良くて、思わずアイフォンの壁紙にしたくなっちゃうような名言が多いです。名言の多さはポストSATCって言ってもいいんじゃない?って思いますがね。

 

そんなゴシップ・ガールの放送も10年前。

SATCが20年前だったことを考えるとそろそろ何か来ても良くない……?

って思ってた僕たち。たち?っていうか僕だけなのかも。

しかし意外な伏兵がおりましてん。

 

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ガールズ。

 

いいタイトルですね。

2012年~放送で、今年ファイナルシーズンであるシーズン6が終了したそう。

NYに住む、4人の女子のストーリーです。

えー……?それってー!!?

って思うじゃないですかあ。

 

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それってこれじゃーん……??

 

『ガールズ』は違う。

 

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左から、ジェッサ、マーニー、ハンナ、ショシャンナ。

 

主人公はハンナ。大学を卒業しても親からの仕送りを受け、作家になる、という名目のもと無給のインターンをしております。そんなハンナが仕送りをストップされるところから物語は始まる。

 

ぜんっぜんSATCじゃないのね。もう全然主人公が自活とかしてない。

主人公がすっごいダメ人間。SATCもキャリーが自己嫌悪に陥ったりするけど、なんかもう自己嫌悪のレベルがダイアモンドと河原の石ころくらいレベルが違う。

 

ハンナはプータローで就職活動もするけど長続きしない。ボーイフレンドのアダムも変態だしそもそもボーイフレンドって呼んでいい関係なのかもわからない。ルームメイトのマーニーに家賃を滞納して、周りに文句を言ってばっかり。

 

マーニーはハンナのルームメイトで生真面目でちゃんと仕事もしてる。でも彼氏に物足りなさを感じて彼氏の愚痴をハンナに言ってばっかり。そのくせ周りには正論で意見するからぶつかりがち。

 

ジェッサはハンナとマーニーの友達。この子もプータローで世界中をフラフラしてて最終的にいとこのショシャンナの家に居候。目標や将来への意識が皆無で、異性にモテることやパーティーのことばっかり考えてる。

 

ショシャンナはジェッサのいとこで『セックス・アンド・ザ・シティ』を敬愛する処女。恋愛やセックスには並々ならぬ興味を示すものの、いざタイミングが来ると波に乗れないタイプ。

 

もー全員ダメダメ。ぜんぜんキラキラしてない。

主人公は別にバスに自分の顔写真の広告が載るような有名コラムニストじゃない。

かといって親がセレブなわけでもない。

ぜんっぜんキラキラしてない。

 

……でもよく考えて?

別に私らもキラキラしてなくない?

 

ガールズは彼女らの話でありながら、私らの話でもある、みたいな趣。

 

彼女らはぜんぜん豊かじゃない。ボロい家に住んで、大したことない飯を食べて。成功した誰かの陰口を言って。彼氏の不満を言って。でも出ていく彼氏を引き留めて。

夢は叶わない。仕事はない。仕事があっても上司にケツを揉まれる。仕事があってもクビになる。

友達は万能じゃない。イラつくこともいっぱいあるし、なってほしい時に薬になってくれるわけでもない。的外れなことも言うし結局はみんな自己中だし。

 

ガールズではSATCみたいに、毎回毎回ホットな男は登場しない。しょーもない彼氏だかセフレだかとダラダラしたよくわかんない関係が続いてく。

友達関係も、いちいち4人でブランチとかしない。必要な時に集まるだけ。時には居てほしくないのにルームメイトだから家に居る。

 

SATCじゃない、っていうか現代の、現実版SATCっていう方が近いかも。

 

世相ってこういうものに出るんだなって思っちゃうくらいアメリカではこのドラマがヒットしたらしい。鳴り物入りヒットではなく、SNSなんかでジワジワ流行っていったそう。

僕も最初はドラマに求めるものって、こういうリアルじゃなくて、殆どファンタジーみたいなイケメンとの恋愛とか、お金持ちワールドとか、そういうものじゃん~?って思ってた。

けど、ほんとしょーもない男に振り回されたり性病にかかったり仕事クビになったり、どうしようもない彼女らの人生に徐々に自分を重ねていく始末。。

(僕は性病にもなってませんし仕事もクビになってはいませんが。)

 

やっぱり日本の人が海外のドラマに期待するのって先の読めないシナリオとか、夢みたいに豪奢な生活とか、派手なアクションだったりするのだろうか。

そういう意味ではあんまり日本じゃ流行らない気はする。

地味にいいドラマだと思うので観てみてね。

1話約30分で1シーズン10話です。気軽に観れるね。

 

あと、主演のレナ・ダナムが脚本も務めてるのですが、すごくひとりひとりのセリフがいい。言語表現というか。

単なる若者言葉だけじゃなくて、ひとりひとりのキャラクターに合わせた言語の言い回しや造語をするのですごく英語の勉強になります。

この言語表現も良さの一つだと思うので英語で観るのをおすすめします!

僕は英語音声日本語字幕で観た後、英語音声英語字幕でもう一回観ます。

暇人かよ。

 

シーズン1ではハンナとマーニーはそれぞれのボーイフレンドとの関係性が主軸で進みます。

ハンナは失業してるしそこ必死になりなよ、、って思うけどそこで必死にならないのがハンナ。

ジェッサは自由奔放に生きる中で何かを見つけようとする、、のかよくわかんない感じ。

ショシャンナはとりあえず脱処女を目指す。

他のドラマみたいにコロコロ人間関係や状況は変わらないけど、そこがまたリアル。

個人的にはシーズン1ではショシャンナが一番好きでした。

明日からシーズン2観ます。

対してシーズン1の感想書いてるわけでもないけどシーズン2観終わったらシーズン2の感想書くのだろうか。

 

お金のかかった派手なドラマじゃないけど、休日とかにダラダラ観るのにおすすめです。

次回ブログまじ何書こ、、、

雑記20170911:映った鏡のいくつものヒビに文句も言えずに

最近めちゃめちゃヨガやってる。ヨガババアか、ってくらいやってる。

週6とかで、1日2クラスとか取るのでヨガとはいえ終わると脚がくがく。

でもいい。

暇だし。ドラクエもダウントンアビーもそんな何時間も続かないし。

 

ヨガは運動としてもいいんだけど、なんか自分を労わったり、自分を大切にしたりする概念が盛り込まれているのがすごくいいと思う。

自分を大切にするって結構先進的な思想だと思う。特に東京を一時離脱した今だからそう思う。

時間とか、お金とか、精神的な余裕とかないとできないし、やろうとも思わないし。

 

自分を大切にしている、と言うと自分のピアス穴を触ってしまう。

シンガポールはピアスの穴が開いている人も多いし、刺青を入れている人も多い。

日本とは比べ物にならないくらい多い。それが先進的なのかどうかはわからないけど。

 

 

台湾や香港に居た時も、ピアスや刺青をしている人は多かったと思う。

日本より確実に多いし、割と軽いノリで刺青とかもいれちゃう。

『今が良ければいい』的な思想がかなり強いと思う。

僕も左耳にピアスの穴が開いていて、それは約10年前に台湾にいたときに開けたものだ。

台湾人の友達にすごく軽いノリで誘われ、その時は周りに日本人もいなくて考える余地もあんまりなくてそのまま開けてしまった。

その数年後に、日本で、付き合っていた彼氏にピアスの穴が開いていることについて言われたことがあった。

『ピアスを開ける奴とか、刺青を入れる奴とか、自分を大切にしていない人間の証拠だ』と。付き合ってる人にわざわざそういうこと言うかな。

彼は結構典型的なザ・日本人というタイプの人で、僕も、あ、日本人は自分を大切にしているからピアスや刺青のハードルが高いのかな、と思わされた。

その彼は日本的な企業に所属して、家族関係とかも含めゲイであることに相当悩んで不眠症になっていたけど、彼が本当に自分を大切にしていたのかはいまでもよくわからない。

 

確かに、『自分を大切にすること』って国籍とか民族で相当に乖離がある概念だと思う。

日本では、和の中にいる自分を保つことが一番強いのかなと感じることがある。

ピアスや刺青を入れるときの文句で一番多いのは『親から貰った体に』だと思う。

僕は特に刺青を入れたいわけではなかったけど、そこに、親とはいえ、他者が出現することが不思議でならなかった。

他者との関係性上におかれている自分や、他社から見た自分をいかに健やかに保つかみたいな部分が強いと思う。

やりたいことをやること、よりやるべきことをやること、が自分に直結すると考えられている気がする。これはこれで一つの正解なのかな。

もちろんこれは人によっても違うし、最近の若い人は特にもっとアバンギャルドな価値観で生きてると思う。

 

中華系の人の多くの思想は共産主義とか社会主義の国家思想に影響を受けていると感じる。

結局共産主義社会主義は個を失わせる思想なわけで、そこに身を置いていた人は『自分』という概念が比較的希薄になる。

『自分を大切にする』ことが困難になりがちなバックグラウンドを持った人が多い。

そこにそもそも現世至上主義な道教の教えが加わっているからより刹那的になりがち。

 

とか、推測推察でしか言えないけど、でも、そもそもあんまり彼らはピアスを開けたり刺青を入れることについて自分を大切にしてないとは思ってない。と思う。

逆に自分を誇る手段のひとつにしているのかな、とか思ったりする。

彼らにとっての自分を大切にすることっていうのは、今その時の自分を最大限に誇れるようにすることなのかなと思う。

誇る、手段はそれぞれだと思うけど。そこにはやりたいことをする、っていうのが含まれている場合が多い。それも正解だと感じる。

 

日本でもいまモリモリとありとあらゆる手段で『自分を大切にする』ことを啓発することが流行ってるし、そもそも健康ブームとかもその一環だし。

変換期なのかなと感じる。『自分』に直結するものなのでそれぞれの答えがあっていいと思うのだけど。そもそも『自分を大切にする』ことについてもっとみんないろいろ考えたらいいのになーと思う。

他者から見た自分も大切だけど、自分にとっての自分も大切だし。

日本人がそういうバランス感を得ていく時代のような気がします。

 

ちょっと今回散漫な感じになってしまった。。。

雑記20170901:認め合えばそれでいいよ

ジムとかで自分の手とかたまに見てて。

生命線って、年々短くなってる気がしません?

僕だけかもしれないんですけど。

右手の生命線が確実に去年より短いんです。

寿命が縮まってるのかなとかちょっと思ったりしてて。

 

恐ろしかったのは、生命線が短くなってることじゃなくて、昔はちっとも信じてなかった手相占いで自分の寿命の心配をしてしまったこと。

人間って、人間の思想?とかそういうものって自分が思ってる以上に結構ナチュラルに変化してくんだなって思いました。

 

よく、個人事業主の人とかが数珠とかしてて。ベンチャー企業の社長とか。

そんな聡明な人でも数珠の効能を信じたりするんだ、って昔から思ってたけど、あれは、逆に個人事業主とか社長とかってどんどん頼るものも縋るものもなくなっていっていきつく先のひとつなんだとどこかで教えられました。

思想も宗教も占いも人間関係が、良くも悪くも、先細りしていく人々の拠り所。

 

新しい環境に来たらもう少し頭の中がクリアになるかなって勝手に思ってたんですが、身の回りにいろんな思想宗教占いその他がありすぎて逆にカオスになりそう。

もともとしっちゃかめっちゃかなのにね。

 

今が楽しければ何でもいいよ~!みたいなパリピ教みたいのがあったら入信したいかも。

それなら短くなっていく寿命のことも気にしないで済むだろうし。

加藤ミリヤちゃんのライブに行った。

僕が敬愛してやまない加藤ミリヤちゃんのライブに行った。

このブログももはや感想を書くために開設したようなものである。

 

来る4月16日の朝、有給を取っていた僕は3度の洗濯と2度の入浴、爪切りと耳かきと部屋の掃除を済ませできるかぎり身を清め会場であるさいたまスーパーアリーナに向かった。

電車がさいたま新都心駅に近づくにつれ増えていく女子達。

ていうか女子が本当に多い。びっくりするぐらい女子。

駅に降り立つともう街自体が女性専用車両みたいだった。

思い思いの格好をしているけれども共通しているのはミリヤが好きだってこと。

昔のPVの格好やツアーの衣装に近い服、今回発売された写真集

 

 

 『SOFT & HARD』

 

を先取りして聖母マリアのような格好をしていた女子もいた。

 

男二人で行ったわけだけど、そんなの他にいない。

グッズを見た後、ファミレスで時間を潰していたがもはやファミレスが女子校。

夕方になると昂った友達が『酔ってからミリヤに会いたい』とコンビニでワンカップを一気し始める。きっと彼も彼なりにこの環境に身をおくのが辛かったのであろう。

 

すっかり日が暮れてライブ開演時間が近づきさいたまスーパーアリーナへ向かう僕達。会場は熱気と女臭さでとにかくいっぱいだった。

僕達の席はステージからみて右側、スタンド席の比較的前の方だったのだが、まぁ場所とか関係なく女。見渡す限りの女女女。

女が多いとは聞いていたが想像以上であった。

9.5割が女。それも3万人収容のさいたまスーパーアリーナなのだから2万8千人程の女子が募っている計算になる。

 

ステージは最近のミリヤちゃんのお気に入り、天国のような神秘的なムードで統一されており、ステージに2本あった柱には 磔刑されたイエス・キリスト のような絵が描かれたりしていた。

 

興奮冷めない内に始まるミリヤちゃんのステージ。

甲高いコーラスのハーモニーから始まり中東風の白い衣装のダンサーたちが舞い出る。

イントロの盛り上がりが最骨頂に達した瞬間、アリーナ席から歓声が上がる。ミリヤだ。

ステージ中央に白い巨大なモノリスが登場したかと思うとそれが回転、巨大な王様の椅子に座ったドヤ顔のミリヤちゃんが登場した。

客席の盛り上がりは既に第一次のピークを迎える。彼女たちは何よりミリヤに会いたかったのだ。ミリヤを見たかったのだ。ミリヤと同じ空気を吸いたかったのだ。

 

今回は衣装は特別奇抜ではなく、

ガガ様や、

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エスキモーや、

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のような衣装はなかった。

今回はかなりシックにオシャレな感じで、ミリヤちゃんも落ち着くところに落ち着いたな、とがっかりした反面安心もした。

時折喪服を着たりしていたがその程度である。

 

アルバム曲の With U が終わり、謎のどすこいダンスを繰り広げたあとにシングル曲のAIAIAI、定番のSAYONARAベイベーを披露し、名曲 Love Foreverに繋げた。

 

その後、衣装替えをして若旦那とのコラボシングル LOVERS part II を熱唱。

これは若旦那の名曲 LOVERS のアンサーソングとなり、情けない愛を囁く男側ソング LOVERSに対してどんなあなたでも受け入れるよという寛大な女側を歌っている。

ミリヤちゃんの泣かせる歌唱力がアリーナ中に響き渡る中、事件が起きる。

サプライズで奈落から登場した若旦那が『口ばっかりでいつもごめんね~』と歌い会場を歓喜で沸かせた数十秒後、歌い終わった若旦那がものすごい速さで昇降機でまた奈落に降ろされてしまう。

真面目な演出、かつ泣かせるラブソングながらなぜか会場中が爆笑に包まれてしまったのである。

あれもミリヤちゃんの演出だとしたら、かなりの策士である。

 

その後は昔のアルバムからPeople、ありがとう、、young ladyを歌い終えると会場中にクラシック曲カノンが響き渡る。Love is... だ。

Love is...を熱唱しながら舞台の昇降機で少しずつ天に昇るミリヤちゃん。

それを見ながら号泣する女子達。

舞台後方のスクリーンを利用し ミリヤに羽根が生える。

そして号泣する女子達。

ハートマークの中心に『MILIYAH』とかかれたサイリウムを泣きながら振る女子達。

無表情で愛を囁くミリヤ。

 

 

 

宗教だ。

 

 

 

その後、辛気臭いアルバム曲を何曲か歌った後に ROMAN、眠れぬ夜のせいで。そしてMC。

 

今回のアルバムは愛をテーマしている~という話から始まり、どれだけ愛が尊く、強く、素晴らしいものであるかを説くミリヤ。

会場の女子達に『みんなもパパと、ママの愛の証なんだよ?素晴らしいこと!!』と訴えるミリヤ。

泣く女子達。

 

そしてステージはクライマックスに。

アルバムの核曲 True、そしてミリヤのお気に入り UGLYで終了。

みんなありがとうーーー!!と舞台を去るミリヤちゃん。

 

普通のアーティストの場合ここでアンコールが起き再登場、となるところである。

 

しかしミリヤは違う。

 

会場の全員がまず無言。ただただシーンとするアリーナ。

数分するとアリーナ席から歌声があがる。

ミリヤの初期シングル 夜空 だ。

『アンコール!!』と叫んだら殺されそうな空気の中、ひたすらファンたちの歌声を聞いていた僕達。

ミリヤちゃんはファンの結びつきが強く、事前にこういった打ち合わせをWebでしてミリヤちゃんへのサプライズをしようという企て。よくあるにわかオタ排除だ。

 

なにはともあれ、しばらくするとミリヤちゃんが登場。

何事もなかったかのようにアンコール曲 今夜はブギーバック を披露した。

もちろん清水翔太とSHUN付き。シミショーめちゃ可愛かった。

そして、ふたりでミリショーの新曲、 LOVE STORY を披露。

これは 時代を超えて輝き続ける2人のためのラブソング らしいのですが。

今はお別れだけど、いつかまた時が来たら出会えるという内容で、

 

まぁメロディーも歌詞も泣かせるわけで、

 

会場の女子達も泣いたりしていたわけだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きましたけど?

 

ここで泣きましたけど?

まさかのミリヤライブでバンマ、涙。

いろいろ思い出すよね。

 

そして次はアンコール2曲目。

『みんな、きっとしってるはずだから、一緒に歌ってね?』とミリヤちゃん。

 

『聴いてください…… Aitai ……』

 

 

知らないとでも?

 

 

『あなたが良かった たとえどんなに傷ついたとしても どうして私じゃないの?』

 

サヨナラを告げられた相手に対する 日本最強のハイパー未練ソング である。

 

サビに近づくにつれ昂ぶる会場。

 

『会いたい、会いたい、会いたい、会えない 私だけを見て欲しいよ……』

 

 

 

3万人が合唱する内容か?

 

 

もうね、

こんなね、

みんなね、

共感しちゃって涙とかね、

いやほんとね、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きましたけど?

 

23歳男子だけど

 

 

 

何度傷ついてもいいの こんなにも好きなの

 

 

 

歌いましたけど。

 

Aitaiが終わると会場に 哀しみと涙しか残らなかった。

 

追い打ちを掛けるようにミリヤが歌う 勇者たち。

別れソングの応酬である。

 

そしてコンサート最後の曲、 HEART BEAT

『小さなことにクヨクヨせず明るく生きてこ!!』みたいな曲。

 

 

 

 

3万人の2時間にわたる感傷を台無しにするミリヤ。

 

 

 

 

……まぁなんだかんだですごく楽しかったです。

本当に歌うまいし、今回は少なめだったけどダンスも上手で良いコンサートでした。

また来年も行きたいと思います。

 

 

今日会社で何のライブ行ったの?って聞かれて、なんか恥ずかしくて

マイナーなR&Bシンガーです。

って答えちゃいました。

ごめんミリヤちゃん。