過去最高の朝ドラでした。
前作、前々作の『おかえりモネ』や『おちょやん』が割と1週間をまるっと一話とするような構成だったのに対し『カムカムエブリバディ』は一話あたりの盛り上がりをかなり重視していたり、全体の緩急も最高に良かったように感じます。
モネやおちょやんの様な構成は配信全盛期の今に向いているとは思うんですが、ほんなら別に毎朝見なくてもいいわな。って気持ちにもなりがちで。
『カムカムエブリバディ』は主人公が3人という点で斬新ではありつつ、従来の『1日15分の朝ドラを見る』という行為について原点回帰させてくれた点が評価されたポイントのひとつかと思います。
毎話毎話に盛り上がりがあり、先の読めないストーリーで視聴者を楽しませる。
『スカーレット』を見ていた時のような、朝ドラがあるからまた今日も生きていこうという気持ちを思い起こさせる本当に素晴らしいドラマでした。
半年間この『カムカムエブリバディ』を毎朝一話ずつ見たという体験は、死ぬ時まで忘れることはないでしょう。
そもそも僕がドラマを好きなのって、ドラマを見ている時間ではなく、見ていない時間が好きなんです。
ドラマの中の人々がどうなってしまうのか、どうしていくのか、彼らの人生に思いをはせる時間が1日なり1週間なりあって、この時間こそが人生の真髄なのかなと。
『カムカムエブリバディ』のおかげで半年間、毎日毎日幸せに暮らせました。
はい、『カムカムエブリバディ』についてです。
■安子編
ひなた編で安子編の『うまさ』みたいなものがジワジワと出てて脚本家とプロデューサーの力量に膝を打ちました。
安子編放送当時はジェットコースターのような異常な早さの展開が最高に面白かったんですが、それすらも掴みとしての役割を果たしてたと思うんですが。
後から考えて凄いな、というのは例えば宮嶋麻衣とか堀部圭亮があんなチョイ役で出たわけ…?とか雪衣ってあんなこと言うためだけに登場したキャラなん…?みたいな、伏線というまでもないようなこちらの不穏な気持ちも含めた色んなものを全てひなた編で回収してたことです。
また、序盤で安子があくまで普通の幸せな女の子であり、そのままこの街で暮らしていくことが夢の欲がない少女だったというナレーションすらも後半への種まきとなっていたことが凄いなと。
安子の夢は叶わなかったんですよ。
それが種まきになっているという全体の流れが素晴らしすぎた。
安子編は『種まき』と『つかみ』が全てだったのかなと今では思います。
ジャニーズの松村北斗もここのみで投入されてましたし。
キャスティングもつかみのひとつだったような。
ただ、この『種まき』の結果を数ヶ月後にジワジワ見ていくという視聴体験は配信全盛期の今ではにわかに味わえないものでしょう。
安子編の時に全視聴者が感じていた、『私たちはこれからすごいものを見るであろう』という予感はこのドラマの凄さのひとつだと思います。
■るい編
るい編は緩急で言えばかなりの緩。
安子編の8週がドラマ内で約25年の時間経過に対しるい編では6週で3年の時間経過。
るいの人生だけは比較的濃密に描かれている。
というのもるいは3人の中でも特に中心人物として据えられていたからなんですかね。
安子編、るい編、ひなた編すべてに登場する唯一の主人公であり、ドラマのテーマみたいなものを体現していた存在かと思います。
るいにとって母親である安子の象徴とも言えるおでこの傷を乗り越えること。
母の仕打ちを、自らが親となり許すこと。
ビートたけしが著書『菊次郎とさき』で親を許せるようになることでようやく人は大人になる、という旨のことを言っていました。
なんか、それに通ずるものがあるなと思い。
また、後述の同脚本家による朝ドラ『ちりとてちん』でも母親に対する気持ちの変化は大きなテーマのひとつでした。
『あまちゃん』などでも主人公の母親である春子が準主役級以上のエピソードが与えられ、今回の『カムカムエブリバディ』と似たようなテーマも含まれていたかなと思います。
ただ、今回の素晴らしかったところはるいにとっての母親である安子にも、娘であるひなたにも脇役ではなく、『主役としての人生』があったところです。
従来の朝ドラのようにるい一人を主役とし、安子やひなたを準主役とする構成でも成り立った話だとは思います。
そうせずに3人を主役と据えて、彼女らの人生をもってるいの人生を輝かせた(逆もあり、るいのおかげで彼女たちの人生は輝いていたとも思います)構成は本当に素晴らしかったです。
ひなた編が始まった頃は、3人主人公でも全然面白いしアリやな~くらいに思ってましたが、この脚本家でこのプロデューサーだから成立した部分はかなり強いように思います。
■ひなた編
『ごめんね青春!』で目に留まり、『とと姉ちゃん』で主人公常子の友達富江役で本格的に好きな女優のひとりになった川栄李奈。
制作発表の頃は折角朝ドラ主演に抜擢されたのに1/3で可哀そうやなぁと感じてました。
『カムカムエブリバディ』が朝ドラの金字塔となったことを加味しなくても、ひなたという当たり役を得られたことは彼女のキャリア最大の功績になったと思います。
また、華丸大吉さんも言ってましたが『めちゃイケ』のテスト企画でセンターバカとなりBKA48のセンターとなった歴史を覆すような彼女の英語への努力はひなたそのままでした。
ひなた編は怒涛の伏線回収がキモとなっており、ひなた自身も後半は狂言回しのような役割に近かったです。
ただ、川栄李奈の力量というか、存在感というか、彼女が生来持つ光と影みたいなものがただの狂言回しとして終わらせなかった部分が強かったなと本当に感心しています。
るい編にはるい編の批判があったな~と思いますが、ひなた編にはひなた編の批判があって、主たるものは『主人公以外の人生に尺を割きすぎている』というものでした。
最もだとも思いつつ、やっぱり『カムカムエブリバディ』は群像劇だし、主人公以外の人々の人生にも尺を割いたことが個人的には良かったんじゃないかと思います。
メインのキャッチコピー『未来なんてわからなくたって、生きるのだ。』以外に各主人公のキャッチコピーとして『これは、すべての「私」の物語。』(安子)、『あなたがいたから私です。』(るい)、『バトンを渡して、わたしは生きる。』(ひなた)があります。
特に『これは、すべての「私」の物語。』は全てのキャラクターが生きる群像劇だからこそのコピーかなと思います。
『カムカムエブリバディ』のみならず大阪朝ドラ全体のテーマに近い人生賛歌的な部分はひなた以外の人生があった故成り立っていたし、その中でも存在感のあったひなたという役は川栄李奈のみが出来たものかと。
また、ひなたが劇中で結婚をしなかったというのも3代いたからできた決断かなと思います。
祖母の代から受け継がれたひなたの自己実現が、安子がひなたをアメリカに誘ったことが、なぜナレーションが英語だったのかという初回からの伏線に繋がったラストは本当に綺麗でした。
こういったまとめかたはドラマとして珍しいものではないと思いますが、半年間見続けていた100年間の軌跡が全てラジオ英会話のエピソードだったというオチは個人的にかなり刺さりました。
■演出
ストーリーだけでなく演出とキャスティングも良かったです。
本当に沢山の人が関わって、それぞれが愛を持ってこのドラマを作っていたんだと感じられたこと自体がこのドラマを愛する理由になると思います。
演出は、特にオープニング映像や毎話のエピソードで円をモチーフにしていましたが、それにより繰り返されることを表現していたと何かのインタビューで誰かが言っていたような気がします。(うろ覚えすぎ)
ラジオ、英語、和菓子、時代劇、野球、ジャズなど古き良き日本を象徴するモチーフが円環を描くように様々な手法で登場する演出は見事でした。
テーマを変に絞らなかったことも『カムカムエブリバディ』が群像劇として、また3人の普通の女性の人生を描く上で作用していたように思います。
ほぼ主人公の家で物語が展開した『スカーレット』なんかとは違い『カムカムエブリバディ』はセット数も相当に多く予算もかかったんじゃないかと。
それなのに小さな部分にもこだわりを持っていてスタッフの朝ドラ愛を感じました。
セットや小道具だけじゃなく、料理なんかの描写も地味に力入ってたような。
またキャスティングですが、『あさが来た』では主人公あさの家の女中ふゆ役の清原果耶が娘のナツ役も演じたりなど、同じ俳優が同じ血縁の役を演じることは今までの朝ドラでもあったと思います。
今回は、子役を抜くと世良公則、堀部圭亮、宮嶋麻衣、尾上菊之助、前野朋哉、紺野まひる、小野花梨あたりが親子二代などで二役をやっていたんでしょうか。かなり多いような。
彼らの表現する継承や繰り返しは安子、るい、ひなたの継承と繰り返しに重みと説得力を持たせていたように思います。
また算太は唯一、同一役者が同一人物を全編通して演じたキャラであり、その点がハズしとなっていたように思います。
(算太はるい編には登場してないので全編というのに語弊ありかもですが…逆に役者交代ありで全編登場したキャラはるい、錠一郎、あかにしの奥さんとケチエモン、勇と雪衣あたりのみでしょうか?)
算太というキャラは他の登場人物と表現されるものというか、背負うテーマが違っていたような気がして、彼が主となるエピソードは全部大好きです。
算太、美都里、勇、雪衣のような人間の弱い部分や黒い側面みたいなものを表現するキャラクターは藤本有紀さんのドラマ最大のスパイスだと思います。
濱田岳演じる算太の『人間だってちょっとはみ出すぐれぇが味があろうが』は第2話での台詞ですが僕が『カムカムエブリバディ』に夢中になったきっかけです。
藤本有紀さん、名言生産機だわ。
■全体の構成
僕が『カムカムエブリバディ』に対して好感を持っていたのは基本的にフェアだったからです。
アニーの正体などの部分はありましたが、物語のキモだった安子とるいの確執について、視聴者は知っているのにドラマの登場人物は知らないという良いモヤモヤの与え方は本当に視聴者にとってフェアだったと思います。
正直僕は最近流行りの推察型ドラマが好きではなく、ただ怪しい要素を振りまき最終回で答え合わせをするだけのドラマは、もうそれ最終回だけ見るわ。ってなってしまうので。
僕らが見たいのは問題の答えじゃなくて、主人公たちがその問題をどう乗り越えて、どう受け入れるかなので。
また、主人公3人制の良かったところは朝ドラあるあるの後半ダレがち問題を解消してたところです。
朝ドラって結構、夢に向かってがんばる!みたいな話が多く、全体の構成として半分~2/3くらいまでは夢を叶えるまでの道筋を、それ以降の後半は夢を叶えた後に主人公がどう生きていくかを描きがちで。
そうなるとどうしても前半が面白くて後半が(前半に比べると)面白くないって現象が起きる。
『あまちゃん』や『半分、青い』では主人公に次々と新しい夢や目標を与えることで、『ひよっこ』では大きな夢のない主人公を設定することで解消してたように思います。
今回の『カムカムエブリバディ』では主人公が代替わりすることや、序盤の伏線を後半で回収することで後半ダレ問題が完璧に解消されてました。
単純に最後が盛り上がるわけではなく神回の詰め合わせであった第20週『1993-1994』を最終週の1ヵ月前に持ってくる妙も最高でした。
従来の朝ドラだと最初の数週間の主人公幼少期エピソードが面白くなかったりっていうのもあるあるではあるんですが、今回は安子編ではたった2話、るいとひなたは先代主人公のエピソードに含んでしまうことで完璧に解決してたのも凄いなと。
ここら辺は狙ってたのか結果的にそうだったのかはわかりませんが、本当に死角のないドラマだったと思います。
■神回たち
これ本当にこのドラマの一番凄い所だったし最大のエクスタシーでした。
1、2週に1回、15分にまじで45分ドラマくらいの情報量を詰め込んだ回があるわけですよ。
大阪で生きていた安子がラジオ英会話と再会する回、安子編からるい編に移り変わった回、るいが京都に移り住む回、ひなた編では第20週のすべてのエピソード、最終週のすべてのエピソードなど。
もちろんこれはこの回のみが凄かったわけではなく、それまでのエピソードありきの情報量だったのでこれこそドラマの真髄ですよね。
それにこの神回は『カムカムエブリバディ』の緩急の付け方のひとつで、『カムカムエブリバディ』はとにかく取捨選択が上手でした。
10年くらいはポーンと飛ぶ割にたった1日のエピソードに何話も使ったり。
変に主要人物の退場に時間をかけず、日常をつぶさに描いたり。
そういう取捨選択のうまさみたいのが15分x112回=1680分間(28時間!)、1分も無駄にせず作用していたのが本当に最高でした。
悲しいのはコロナの余波と土曜日カットの影響でエピソード数がかつての朝ドラよりも少なく、あと数十話多い状態だったらどれだけ良かったかということ。
まぁそれはたらればなので仕方ないですね。
■エピソード
好きだったエピソードたちです。
・金太が死ぬ回
安子のおじいちゃんやおばあちゃん、小しずが死んだあたりはまだみんな『カムカムエブリバディ』名物である『ナレ死』について認知していなかったように思います。
金太は最終的には一応『ナレ死』ではあったものの、珍しく死に際に尺が割かれた人物です。
出征する算太を勘当し、見送りに行かなかったことを後悔しながら算太の幻影を見て死にます。
この回泣かなかった人いる?
安子編はとにかくこういう、戦前の家族が揃っていて幸せだったころをリフレインする演出で毎回号泣でした。
全編を通してこの安子の家族がラジオを囲み団らんをするシーンは回想としてかなりの回数使われていましたが、ここが大月家のルーツとなっていることなども考えると何べん出されようがその数だけ泣きますね。
・安子が小川家の壁越しにカムカム英語を聞く回
家族がみんな居て、安子が幸せだった頃のモチーフとも言えるような証城寺の狸囃子が、稔との繋がりであった英語の歌詞で聞こえる。
こんなん泣かないわけなくない??
泣かない人おかしくない??感情をオカンの子宮に置いてきたか??
家族が空襲で死に、最愛の旦那が戦死し、義母にいびられ逃げ出した先で現実の厳しさを知る近年朝ドラ最大の絶望展開のピークにこれがぶつかるやばさ。
そしてこの後の小川家での展開も涙なみだでしたよ。
・定一が進駐軍クラブでサニーサイドを歌う回
安子は一生懸命生きている反面、目を向けていないものがある人でした。
(ていうか過酷すぎて目を向ける余裕も何もなかったのよな)
ロバートのおかげでそういうものに目が向けられるようになった回。
そして世良公則がサニーサイドを歌ってTwitterでバズった回。
僕自身は世良公則のことは知らなかったのですが、親はやっぱり知っていたみたいでこの回の放送後に母親からLINEがきました。
こうやって親子でキャスティングについて話せるドラマってほんと貴重。
・幼少期るいが安子に"I hate you"って言ってるい編に移行した回
この回をリアルタイムで見てた時の衝撃たるや。
メガトンハンマーでぶん殴られたかと思ったわ。
1話15分の異常な情報量。
これで安子編が終わるのかという絶望とるい編への期待。
アラフィフながら18歳役を演じた深津絵里の美しさ。
テレビ史上に残る15分間だと思います。
あと、水曜に新編突入っていう斬新さも地味に凄かった。
・お給料を貯金すると言うるいに濱田マリがキレる回
これ、当時はそんなにだったんですが後から思い返すと本当に好きです。
濱田マリが『あんたみたいな若い、可愛らしい子が、着たい服も、食べたいものも、行きたいとこもないやなんて、ほんなしょうもないこと言うんやないの!ちょっとでもええ、ちゃんと使いなさい。ええな?』とキレますが、エピソード後半で錠一郎により濱田マリがるいくらいの年の頃に戦時中だったのでは?と明かされます。
濱田マリの朝ドラらしさと人間らしさが最高に好きですが、まだ謎の人物だった錠一郎が核心を突いたことを言う演出も好きです。
この回ではじめてるいが錠一郎の本名を知るんですよね。
オープニングの名前も宇宙人→ジョーでしたがこの回以降大月錠一郎になります。
・るいが竹村夫婦に錠一郎と東京に行くと言い出せなかった回
るい編はエピソードとしてはそこまで大好き!という感じではなかったのですが、竹村夫婦とるいの組み合わせは本当に好きでした。
兎にも角にも深津絵里、村田雄浩、濱田マリが3人で働くシーンの空気感が最高。
また、雉真の家を出たるいが竹村夫婦の本当の娘のようになっていく工程は朝ドラ要素が強くて何度も見ちゃいます。
この回が別れの回ではないですが、実質的に竹村夫婦に別れを告げる回です。
濱田マリの『そない…いつまで居られても、困る』は何度見ても泣きます。
・るいが京都に移り住む回
るいが竹村夫婦の、錠一郎が小暮さんの元を離れる回です。
竹村夫婦、小暮さんは冒頭のみしか出ませんが、別れのシーンはやっぱり泣いちゃいますわ。
また、るいが回転焼き屋を始め、あんこのおまじないを幼少期ぶりに言い始める回でもあります。
・ひなたが二代目モモケンから過去の話を告白される回
恐らく算太が劇中で唯一?あずきのおまじないを言う回です。
これまできちんとした胸中をあまり語られなかった算太が、金太ら家族のことを思い出していたことが語られたり、二代目モモケンが大月の回転焼きにより算太の口にしていたあんこのおまじないを思い出したりと要素もりもり。
算太の胸中はあくまで本人や肉親ではなく、他人によって語られるという演出は算太という人物を余りにも表していてビックリしました。
かつ、ひなたが安子の言っていた台詞と同じ台詞を口にしたり、算太が大人になったるいと初めて会ったりと怒涛の伏線回収の始まりでした。
この辺からひなた単独というより、群像劇要素が強くなってきたように思います。
・小夜子の結婚を知った桃太郎があかにしからCDプレイヤーをパクる回
あかにしからラジオを盗んだ算太の血筋。
失恋しておかしくなってしまう算太の血筋。
これはこの回というか、この次の回も含めて好きでした。
みじめなひなたとみじめな桃太郎に対してトランペットを取り出す錠一郎。
この時の深津絵里の演技、家族の演技、不穏な演技。
そしてその後の衝撃すぎる第20週の次回予告。
次の回の錠一郎のライフストーリーと『で、何が言いたいかって言うとやな、それでも人生は続いていく。そういうことや』。
ドラマであんなにわくわくしたり感動したりしたのは本当に久しぶりでした。
・算太がるいを訪ねひなたの家に来る回
錠一郎の人生語りから算太の登場でひなたがるいや錠一郎にも彼らの人生があったことを意識し始める回です。
前述の通り、算太はこのドラマの中で特に人間らしい部分を表現しているようで好きでした。
算太がひなた、るい達とクリスマスの食卓を囲むシーンは『カムカムエブリバディ』で好きなシーントップ5に入ると思います。
ひなたやるいと過ごし、踊りながら算太の人生がプレイバックされる演出は最高の一言でした。
また、この回前後の安子の周りの人物が現れ自分の過去と向き合わなくてはいけなくなり動揺する深津絵里の演技は脱帽としか言いようがありません。
演技するってこういうことなんだ…っていうのを演技で示すかっこよさ。
・るいが戦死した稔と、ひなたが既に死去していた平川唯一と会う回
ミュージカル的演出は今までちょいちょいあったものの、こういう演出は後にも先にもなくちょっと特別な回な気がします。
平川唯一が思いを語り、安子が生きた戦時中の思い出がリフレインされ、稔がるいに語り掛ける。
『カムカムエブリバディ』の核の部分が濃厚に表現されてた回だと思います。
伏線というより考察の様になってしまいますが、稔がひとりで現れる=安子は生きていると解釈できたのもすごく好きでした。
・アニー・ヒラカワがラジオで安子としての思いを吐露してしまう回
アニー・ヒラカワの存在は最終パートの掴みという感じでした。
そのアニーが安子であることを明かし、物語のキーであるラジオを通して告白をする回です。
誤解を抱えたまま何十年も過ごしたるい、後悔を抱えながらアメリカで生きた安子。
その2人をひなたが繋ぐラストに繋がる回でした。
あとまぁ何べんも言うけど、この回もまた深津絵里の演技が凄かった。
・最終回
言わずもがなですが。とにかく要素もりもりのもり。
金太が闇市でおはぎを託した少年の行く末、たちばなが再興していた事実。
待ち焦がれたきぬちゃんの血筋が表れ、大月を継ぐ。
3代共に唱えるあずきのおまじない、3代で聞くラジオ英会話。
その他登場人物たちのその後。
やっと甲子園に行けた雉真の血筋。
『カムカムエブリバディ』がラジオ英会話そのものであったことが明かされる。
るいと錠一郎のそれから。安子のそれから。
ビリーの正体とひなたの未来。
これ15分ですか?体感2時間ドラマくらいありましたけど??
色んなものを綺麗に回収して、本当に綺麗に終わりました。
『カムカムエブリバディ』が終わってしまい多少のロスはありつつ、あんまりにも綺麗で満足感があったので充足感のが強いかも。
第20週と最終週は放送直後から何回も何回も見てます。
『カムカムエブリバディ』は唯一無二ですが、またこういう風な気持ちで見られる朝ドラが出てくるといいなぁ。
■すいか
もうここから割と余談になってくるんですが、『カムカムエブリバディ』は僕が人生で最も好きなドラマ『すいか』に似た部分があるなと思いました。
ひなたが安子と同じ台詞を口にするシーンは、『すいか』で基子と梅子が全く同じモーションでお煎餅を食べるシーンを思い起こさせましたし、件の第20週でるいが戦死した稔と、ひなたが既に死去していた平川唯一と会うエピソードは『すいか』のお盆のエピソードに通ずるものがありました。
これは別にパクりだなんだとかそういう話ではなくて、こういう人生賛歌みたいなドラマにおいては変にこねくり回した表現をせず、古典的アプローチで来てくれるのが一番いいんだなぁと思った次第で。
受け継がれるものの暖かさとか、死者を思うことが人生のコントラストを作ることなんかは普遍的なテーマかもですがこれからもいろんなドラマで描いてほしいです。
『カムカムエブリバディ』の脚本家である藤本有紀さんが15年前に脚本を担当した朝ドラです。
落語をテーマにしており、主人公の喜代美が落語家を目指すストーリーですね。
朝ドラの古典的名作として名が挙がる作品で、TVプロデューサーの佐久間宣行なんかも好きなドラマとして度々ツイートしてます。
朝ドラ名シーン第1位が
— 佐久間宣行 (@nobrock) 2019年3月30日
「ちりとてちんの草若師匠復帰」なの大納得だし最高。
DVDも持ってるし、再放送はハードディスクから消してないし、このシーンは元気ない時見返すもんな。
今日も多分見る。#ちりとてちん
#朝ドラ100作ファン感謝祭 pic.twitter.com/66amKYygcG
安子編を見ていて、どうしても毎日1話では物足りなくなってしまい同じ脚本家の朝ドラ!と思いゆるゆると『カムカムエブリバディ』と並行して見て、『カムカムエブリバディ』とほぼ同時にフィニッシュしました。
こちらは『カムカムエブリバディ』のような怒涛の伏線回収!という感じではないですが、ものすごく丁寧に作られていて、本当に画面の中に登場人物の人生がありドラマが終わった今も彼らの人生が続いているんじゃないかと錯覚させるような作品でした。
主人公である喜代美が朝ドラの主人公然としておらず、後ろ向きで心が折れがちなところが当時としては新しかったかもです。
『ちりとてちん』でも母子の関係というのはかなり濃厚に描かれており、大きな確執こそなかれど主人公の喜代美が大阪に出る際に『お母ちゃんみたいになりたくないの!』とメンチを切るシーンは物語全体にとって大きな伏線となります。
このお母ちゃんの伏線が回収される第150話は15分間号泣しっぱなしでした。
喜代美の母親、糸子役の和久井映見が本当に最高で、この台詞と一連の流れが象徴する母親という存在の喜劇的側面と悲劇的側面をこんなにも表現できる人が他にいたでしょうか。
主人公の母親っていう存在は近年の朝ドラにはほぼ必ず存在していたかなと思いますが、ベスト朝ドラ母親賞をあげたいくらい。
また、登場人物に作品のテーマをリフレインさせることは『カムカムエブリバディ』と通じており、特に喜代美の祖父(と父親もかな)が何度も繰り返す『人間も箸と同じや。研いで出てくのは塗り重ねたものだけや。一生懸命生きてさえおったら悩んだことも落ち込んだことも綺麗な模様になって出てくる。お前のなりたいもんになれる』は本当に墓まで持っていきたい名言です。
『ちりとてちん』も『カムカムエブリバディ』も、積み重ねること、繰り返すこと、受け継がれることなんかが大きなテーマとして存在してたような。
ぜひ『カムカムエブリバディ』ロスになってしまった皆様は『ちりとてちん』も見てみてください。
ちなみに、『カムカムエブリバディ』のあかにし一家は漢字で赤螺と書きましたが、これは落語の『片棒』という演目が由来です。
『片棒』の主人公(?)が赤螺屋吝兵衛(あかにしやけちべえ)という名前で、まさにケチ兵衛、ケチ衛門のような人です。
『ちりとてちん』は落語がテーマで、各週のエピソードや各主要人物にそれぞれ有名な落語が紐づいています。
記憶に残る限り、『片棒』は『ちりとてちん』では使用されてなかったような気がしますが、当時の没ネタとかだったんでしょうか…。
■まとめ
『暗闇でしか見えぬものがある、暗闇でしか聞こえぬ歌がある』は『カムカムエブリバディ』において、『ちりとてちん』でいう塗り箸の台詞のように序盤から何度もリフレインされる台詞です。
例えば安子が稔との結婚を諦めざるを得ないと思った時に、錠一郎がジャズコンテスト前に自信を失っていた時に、ひなたが回転焼きを上手く焼けないと現実に直面した時に。
登場人物が壁にぶつかる度に劇中劇で黍之丞がこの台詞を言う。
これは2021年-2022年のこの時代故繰り返されたテーマだったのかなと。
世の中が暗闇に包まれている時代だからこそ、この時代でこその気づきがあり、この時代でこそ得られるものがあるのではと。
僕たちが直面している暗闇は、安子が、るいが、ひなたが直面した暗闇であって、その他の登場人物が直面した暗闇と違いはないのかなと思います。
この台詞だけではなくおはぎのおまじないや『美味しいお菓子を怖い顔をして食べる人はおらん。怒りよってもくたびれとっても、悩みよっても、自然と明るい顔になる』や『日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ』なんかもこの時代を生き抜く珠玉の名台詞かと思います。
この時代のことを思い出すとき、『カムカムエブリバディ』のことを、『カムカムエブリバディ』の登場人物たちの人生のことを一緒に思い出すことでしょう。
ドラマのキャッチコピー『未来なんてわからなくたって、生きるのだ。』は本当によくこのドラマを表してたし、僕らの人生のキャッチコピーでもありますね。
また、『カムカムエブリバディ』が沁みたのは自分の親にも親の人生があり、おばあちゃんやおじいちゃんにもその人生があった、という当たり前だけど忘れてしまっていたことを思い出させてくれたこと。
僕はやはり年代も近く性格も似たひなたに一番感情移入していました。
感情移入する一方、母親であるるいや父親である錠一郎にも歴史があったこと、祖母である安子と祖父である稔にもその怒涛の人生があったことを視聴者である僕らは知っているのにひなたは知らないもどかしさ。
そして自分の母親や父親にも人生と歴史があり、祖父や祖母も同様であると『カムカムエブリバディ』を見て思わされました。
次に実家に帰ったら親の人生を、祖父祖母の歴史を聞こうと思います。
まじでNHK偉大だわ…。
『ちむどんどん』も楽しみ!
※追記
『菊次郎とさき』の該当箇所はここでした。
人間が子供から大人になったかどうかは、親に対しての感情の持ち方で決まるんじゃないか。おいらはそう思っている。父親や母親を見て「可哀相だな」「大変だったんだろうな」と思えるようになったら、そこで大人への 第一歩を踏み出したのであり、幾つになっても「オヤジは許せねえ」などと言っているようでは まだガキだと思う。