Epistemicia by Banma!!

バンマのブログ。

心覚20180222:香港で洗濯屋を使った。

掃除洗濯料理云々、、とある中で一番アウトソーシングしたい家事は洗濯だと思う。

料理や掃除は正直好みとか塩梅の問題もあるしやってて楽しい部分もあるけど。

洗濯に関しては誰がやっても同じだし、別に楽しくないし。

洗濯機回して一時間待って乾燥機使うなら乾燥機待つとか干すなら外出るのがめんどくさいとか雨降ったら最悪とかそういう諸々もめんどくさい!

 

って思ってたら香港には洗濯屋というサービスがあるらしい。

まるっと洗濯と乾燥をしてくれて、畳んで返してくれる。

もちろん普通の洗濯なので色移りしそうなものとか通常の洗濯が不可のものはだめだけど。

調べたら結構店舗もあり早速使ってみることに。

 

一週間分の洗濯物。袋に溜めてたのでそのまま持っていきます。

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洗濯屋。結構そこら中にあります。

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どの家もベランダがないから、洗濯っていうか乾燥までしてくれるのが需要あるのかも。

 

そのまま量りにのせて重さをはかる。

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約1週間分で50HKD(700円、1HKD=14円計算)でした。

お姉さんに『トゥモロー!!セイムタイム!!』と言われる。

 

そしてトゥモローのセイムタイム

 

袋に詰められた洗濯物が。

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開けるとこんな感じ。

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正直、乾燥までしてくれて畳んでくれて700円ならいいかな~という感じでした。

自分のTwitterでもアンケート取ってみたらこんな感じ。

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意外とみんな700円は許容範囲なのね。

独身男ばかりのTLではございますが、、

 

折角のサービスなので積極的に使っていきます!

書評20180221:ニューヨークで考え中(近藤聡乃)

ちょっと前に『A子さんの恋人』という漫画を薦められ読んだ。

ニューヨーク帰りの漫画家、優柔不断で言葉足らずな主人公A子さんがそれぞれ別れきれず東京とニューヨークにいるふたりの恋人(って言うにも微妙な関係だけど)とすったもんだしたり、A子さんの友人らがまたすったもんだしたりする話なんですが。

超面白い!!すごい!!やめられない!!みたいな感じではなく連ドラ的な、なんか割と人間味あってついダラダラ読み続けてしまうみたいな……全然褒めてないっぽいんですが褒めたいんですよ僕は!

展開が衝撃的!みたいな面白さよりあ~わかる~みたいな面白さ。

ちょいちょい読み返したりしてて。

とにかくすごく漫画を描くのが上手い作者だな!と思って作者名を調べてみると。

 

近藤聡乃

 

すっごい見たことある!って思ったらYouTube黎明期くらいに流行ってた、たまの『電車かもしれない』のアニメーションPVを自主作成してた人でした。たぶん美大の課題だったんかな。

モノクロ映えする世界観とか、細部の描き込みとか、たまの音楽も相まってすごく中毒性のある動画で。

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お~~~この人~~~!!ってなり日本帰国時に他の著書も購入。

それが

 

ニューヨークで考え中

美大卒業後、しばらくして文化庁在外派遣研修員に選ばれニューヨークに派遣された筆者。

そして研修期間終了後もそのままニューヨークに住んでしまいその日常を描いたコミックエッセイ。

 

こちらもニューヨークでものすごい衝撃的な出来事が待ち受けている!!とか人生を変える出会い!!みたいなことではなく、淡々と海外での日常を描く感じ。

だけどそれが心地よくて何度も読んじゃう。

海外に住んでる人にとってはあ~そうだよね~みたいな部分も多いし、日本に住んでいる人にとっては海外に住むってこういう感じなんだ!みたいな。

日本にはなかなかいないタイプの人と街中ですれ違うとか、外食についてとか、少し遠出をした話とか、持ち寄りパーティーに何を持ってくとか。

 

A子さんの恋人もそうだったけど、すごく1話の流れと結末が上手なのと、このニューヨークで考え中については文字も手書きでなんかすごく安心感がある。

漫画家に留まらず、芸術家として成功している人なのに気取ったところもなくて日本の食材や外食の値段とか、靴を褒められた話とかすごく庶民的な部分もあってそこも好き。

ニューヨークが特別な街だからこの漫画を描いてる、っていうよりこの筆者の日常を描く上であくまで舞台がニューヨークだった、みたいな印象。

ニューヨークって言ってもSATCとかGossip Girlみたいなマンハッタンが全てじゃないんだな…と気づかされる。

 

あと、生活についてだけじゃなくて、海外に住むにあたってメンタリティ的な部分も結構同意する部分が多い。

僕も、こうして海外で暮らしているうちに、もし日本がなくなっちゃったらどうしよう!とかふと不安になる瞬間がある。

何があるかわからないし、何かが起こらないとも言い切れない世界だと思う。

そういう中で、もし日本とか、東京がなくなったらどうしよう、って思う瞬間があるんです。

激しくなくとも海外生活のちょっとした陰と陽みたいなところを描いている点もおすすめ。

 

なんか、なんとなくほっこりしたもの読みたいな~って感じの人はぜひ読んでみてください。

2巻も最近でました!

恋愛ドラマとか好きな人はA子さんの恋人も併せて読んでみてください!

記録20180212:君とすきな人が百年続きますように

■3ヵ月

が経ちました。あれから。

banmac.hateblo.jp

これから。

それなりに激動だったと思う。そして、3ヵ月は節目だった。

僕はシンガポールに戻り、普段通りの日常を送っていたら体調を崩した。

夜なかなか眠れない。朝起きれない。

そして自分でも信じられないくらい情緒不安定だった。

あまりにも調子がおかしすぎてクリニックに行ったらストレス反応と診断された。

ストレス反応は、あくまで大きなストレスに対する身体の反応で。

しかしこれが3ヵ月続くならうつ病とかそういう病気に診断されますね。って言われ。

いまはもう良くなったので結局うつ病ではなかったんですが。

なので3ヵ月っていうのはひとつの節目として覚えていたのである。

人が亡くなる、っていうことの影響の大きさを知ると同時に、自分の中での亡くなった友人の存在の大きさに気づかされた、ような。

僕も正直言えば死んでしまえば楽かも、と思う瞬間は人生の中でなくはなかったし、今でも軽く死にて~とか言うときはあります。

でもやっぱり、生きなきゃだめだな、って思う今日この頃。

 

■お墓

たまたま日本に帰国していたので、今日お墓参りをしてきました。

お墓ってなんだか不思議な空間……ここに沢山の人の灰が埋まってるって思うと妙な気持になる。

お葬式からずっと思ってるけど、死んで冷たくなって、焼かれて骨になって灰になって、ってプロセスがもうすごいなって思う。

しかし死体を冷凍保存とかできないもんね。

改めてお墓に対面して、ドラマ『すいか』の教授のセリフを思い出してました。

『でも、お墓って人類の発明よね。死んだ人を忘れないように……でも、安心して忘れなさいって言うために作られたものだと思うわ。』

 

■創作物

すごく創作物に救われた3ヵ月間だった思う。

特に繰り返し観た/読んだのはドラマの『すいか』よしもとばなな『アムリタ』

もともと好きな2作品ですけど。

お墓のセリフもだけど、『すいか』の教授のセリフはすごく響いた。

いままで何度も観てたドラマだったけど、自分の状況で響き方が違うから創作物って面白いなぁって思う。

ドラマの舞台となる下宿・ハピネス三茶に学生時代から住み続けている教授。

第6話で死別した元恋人のリチャードがお盆に迎えにくるという教授のセリフ。死にゆく恋人に、いつか迎えにきて、と約束をしてしまった教授は若気の至りだったと気付き、迎えにきた幽霊のリチャードにまだ生きていたいことを伝えるシーン。

『生きてる人間は、留まってはいられないんです。死んだ人間みたいに、ずっと留まっていられないの。人は変わるものなのよ。私、あなたが死んだ時、この世は終わったと思ったわ。でも、終わらなかったの。私は30年間楽しかった。話したり、食べたり飲んだり、読んだり笑ったり、嘘ついたり泣いたり、励ましたり励まされたり、生きてることが嬉しかったの。ごめんなさい。私変わってしまったの。』

何度観ても泣いてしまう。

僕も、ほんとうに3ヵ月前に、世界は終わってしまったと思った。でも、終わらなかった。

明日食べるものについて考えたり、友達とクラブに遊びに行ったり、上司と喧嘩したり、生きていることも、人生も続いていった。

もちろん、価値観とかものの見方は3ヵ月前のあの日以前/以後で全く変わってしまった。けれど生活とか営みとかそういうものをまとめた人生はずっと同じような、違うようなみたいなノリで続いていく。

それから『アムリタ』。こちらは主人公の死んでしまった妹と主人公の弟が夢の中で会うシーン。弟は感受性が強くて明晰夢(ていうかそれを超えた)のような能力なんかににわかに目覚めるみたいな大筋の小説なんですが。その弟に死んでしまった主人公の妹が語り掛けるシーン。

『私はいつかまた人生をくりかえすときもあるかもしれないけど、今度は急がない。私は急いだだけ。あとは誰も悪くない。そう思ってる。由ちゃんも早熟だから気をつけて。私みたいに急がないで。お母さんの作ったごはんとか、買ってもらったセーターとか、よく見て。クラスの人たちの顔とか、近所の家を工事でこわしちゃう時とか、よく見て。あのね、実際生きてるとわかんなくなっちゃうけど、楽屋にいるとよく見えるの。空が青いのも、指が五本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人と挨拶したり、それは美味しい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。何もかもが、そうなの。飲まないと、そこにあるのに飲まないなんて、のどが渇いてしまいには死んでしまうようなことなの。』

個人的に、『アムリタ』はよしもとばななの最高傑作だと思う。キリスト教の人が新約聖書を読むみたいに、いまの自分に必要な個所を読んだりしてます。

3ヵ月前のあの日から、特に価値観が変貌したことは、日常についてだと思う。

いつか終わる瞬間がくる、のであればいかにこの日常が貴重であるか。

アムリタは甘露、命の水のようなニュアンスでこの小説では使われている。

日常のなんの意味もない営みこそがほんとうは人生の真骨頂であることが切々と書かれた小説。

少なくともこういう創作物を観ている/読んでいる間は辛い思考から逃れられたので本当に救われました。

 

宇多田ヒカル

 3ヵ月間、いちばん聴いてた音楽は宇多田ヒカルかも。

特にやっぱり歌詞が良いなと思うのだけど、例えばDistanceの歌詞はほんとうにすごい。

詩なのであくまで僕の解釈ですが、人間同士の関係性について、人は近ければ良くて遠いのは悪いって思いがち。でもふたりの距離も含めてふたりの関係なのだから、遠いとか近いとかじゃなくてその距離も一緒に愛せばよくない?みたいな歌。

これを17歳くらい?の時に書いてるから宇多田ヒカルはほんとうにすごいと思う。

ここまで美しく達観できる?

Distanceを聴いてて思うのは、死んでしまった友人/生きている僕という対比の中で、その関係性は両者が死ぬまで終わらないということ。

僕は相手が死んでしまったら『関係』とは終わってしまうものだと思っていた。

それは違くて、関係性が変わるだけで、関係は続くのだ。

いなくなってしまった、死んでしまった存在の彼ともずっと関係は続く。

ごめんねとかありがとうとかなんだかんだで言ったりするわけだし。貰ったもの見て思い出したり、死んでる…死んでるっていうか違うかたちで生き続けてるっていうか。

彼は死んでる。僕は生きてる。その関係を愛しながら生きていくことが大切なのかも。

いっぱい悩んだけど、だんだん氷解してきたかも。

とりあえずはただただ生きてくしかないのかも。

雑記20180204:次の電車が通る前に電話が来なかったら

台北に行きました。約1年ぶりに。

1年前は日本の友達とランタン祭りに。

今年はまた別の友達と観光に。

 

大学1年生の時に台北にはじめて行って、中国語も通じるし飯も美味いし物価は安いし人は優しいしでめちゃくそにハマった僕。

それからは長い休みになれば滞在したり大学のボランティア活動を利用したりサマースクールに通ってみたりととりあえず隙があれば台北に行っていた。

でも社会人になったあたりから他の国に行くようになったりして、なんとなく足が遠のく。

飽きたのかな、なんか行く場所は他にいくらでもあるじゃんみたいな気持ちだった。

あとお金に余裕ができたこともあるのかな、社会人になってパリに行ったときに、世界はまだまだ広い!みたいな衝撃を受けて一国を攻めるより浅くても広くいろんな国に行く方が先かもと思ったのだ。

 

最近はなんだかすっかり、あの頃自分がなぜあんなにも台北に夢中だったのかも思い出せなくなってた。

 

去年台北に行ったときはずーっと友達と一緒だったから、なんだかひとりでブラブラする時間が持てなかった。

僕は海外でブラブラするのが好きである。観光地とかに行くより、ただいつも住んでる場所と違う景色を歩いたり違うものを食べたりするだけでわりと満足する。

今回は僕だけシンガポールから、友達は日本から来ていたことから飛行機の時間差があり、最終日に数時間ひとり行動ができた。

とはいえそこまで時間があるわけでもなかったのでホテルの周りを歩く。

 

途中でドリンクスタンドを見つけて木瓜牛奶を買う。

木瓜はパパイヤ、牛奶は牛乳。シロップではなく果物を牛乳とミキサーでまぜてくれる。

200円しないくらい。

お店のおじさんが一通り作って大きなカップと小さなカップを持ってくる。

大きなカップは商品。

小さなカップは、間違えてつくりすぎちゃったからこれもあげるよ。と笑いながらくれる。

飲む量めちゃめちゃ多いけど。

なんかあんまりこういうの他の国でないなって思って少し嬉しくなる。

 

会社へのお土産にパイナップルケーキを買う。

ちょっと有名な店がホテルの近くにあるらしいのだ。

お店のおばちゃんがとにかく試食をくれる。

木瓜牛奶も飲みまくった後だったので苦しいけどお構いなしである。

パイナップルケーキを購入すると、これもあげるわ!おまけよ!これも!と店内のお菓子を次々と付けてくれる。

 

あーなんかこういうのだった気がする、って思い出す。

かつて、自分が台北が好きだった理由。

日本でも中国でもシンガポールでも香港でも他の国でも、なんかここまでお店の人とコミュニケーションを取る国ってあんまないような。

台北は普通に都会なのに、人は下町っぽいのよね。

その、なんかどこでもなさというか唯一無二感が好きだったんだと思い出す。

 

ぜひ台北に行く機会のある方は、観光地や夜遊びだけじゃなくてただ街をブラブラ散歩してみて。良さがわかるかもね。

歩道も広くて整備されてるし、車も比較的安全運転だし。物価も安くて食べ物も美味しいから買い食いも楽しいし。

どこで食べてもだいたい美味しいから、有名なお店に行くより見かけたお店に行く方が楽しかったりする街です。

僕も、今月からはもっと近くなるから頻繁に行こうと思います。

なんか、忘れてたことを思い出せてうれしい旅行だった!

明日からはほどほどに現実に戻ります。

ドラマ20180128:TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS

テラスハウスは有名なリアリティショーで、僕が社会人になった頃に始まったと記憶している。僕は本当に典型的な地上波のテレビを馬鹿にしている人間なのでああいう本当にいかにも地上波!みたいな企画が本当に嫌いで嫌いであの頃はなんであんなに尖ってたんだろうって自分でも疑問に思うくらいテラスハウスを馬鹿にしてました。低俗!みたいな。

 

しかしアラサーに近づき年下の子とデートする機会が増えると彼らがテラスハウスを見てること!たるや。低俗!って思ってもおばさん共通の話題のためならまぁだいたいなんでもできるんですよ。ポケモンサンムーンもやりましたし。

それに何の因果かわかりませんが男女6人で一軒家に住むことになったんですね。シェアハウス。今はもう僕は出てるんですが。25歳~27歳のあたりの1年半。低俗!って思ってた番組の企画をまるパクリして現実で実行しちゃってる!っていうかエクスキューズするとテラスハウスをする気はなくて本当にたまたま男3女3で集まったみたいなそういう感じなんですけどまぁでもそういう状況になると他の男女6人で暮らしてる人々の様子が気になると。

 

人は変わります。

そんなわけで馬鹿にしてたテラスハウスを見始める僕。

ちょうどハワイ編が始まった頃だったのでハワイ編を見る。

まぁまぁ面白いけどこんな感じか、、みたいな。

物足りなさがすごいというか、初期メンがちらほら抜け始めたあたりからなんか足りないんじゃない?みたいな感じがあり。

結局ハワイ編は最後まで見てません。

 

その後は、それ以前のシリーズをちらほらエピソード単位で見たり。

思ってたより面白い!心底馬鹿にしてたくせに!

ハワイ編が物足りなかったのは、じめっとした部分が比較的少なかったというか、日本人的コミュニケーション(出た!忖度!)みたいな何かが控えめだったのかなと気づく。

いわゆる陰口を言うであったり、議論の時にいざ言いたくても言えないであったりみたいな。

ただ無印?というの?もう何をどう区別してるのかわかんないんですが菅谷君が出続けたシーズンとインザシティはエピソード多すぎていつかもっと本当にものすごく暇になったら全制覇したいな、って思ってたら新シーズンが始まる。

その名もTERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS

舞台は軽井沢とのこと。 

 

 2018年1月現在5エピソード配信されてますが(Netflixで見てるので地上波放送はよくわかりません)、なんかめちゃめちゃバランスの良いクール?クールみたいな?アニメみたいな呼びかたしていいのかしら?シーズン?みたいな?感じ?で。

新しいあいのりとかも見てみたけど、そもそもテラスハウスはスタジオメンがすごく良いと思う。これは今シーズンに限った話ではないけど。

YOU、トリンドル玲奈チュートリアル徳井、山里亮太、アジアン馬場園とあとイケメン枠ひとり、イケメン枠は入れ替わったりするけどまぁイケメン枠はそこまで影響力ないのでよしとする。前述5人がめちゃめちゃバランス感がいいような気がする。この人らめっちゃ芸能界上手に渡ってきたんでしょうな!って感じられるコメント力。焚きつけるのも上手いし褒めるのもけなすのも上手い。

新しいあいのりはベッキーを筆頭に河北麻友子とお笑い芸人というテラスハウス意識してる感のあるメンツだけどこの人らは本編がつまらなくてもがんばって盛り上げなくちゃみたいな使命感に燃えてる。テラスハウスは本編がつまんないとスタジオもちょっとつまんなくね?みたいな温度感になる。このゆるさと連帯感が地味に好き。

好き。とか言って数年前あれだけけなしてたテラスハウスを!!?って自分でも思うけどまああの頃も食わず嫌いだったわけだし人は変わりますし。

スタジオは安定として、特に今回バランス良いなと思うところリスト。

 

■メンバー

リストアップしますね。年齢±1歳ぐらい間違ってたりするかも。

順番に特に意味はなし。

○新井雄大、男、20歳、料理人志望のニート

○中村貴之、男、31歳、プロスノーボーダー

○岡本至恩、男、23歳、モデル

○小室安未、女、20歳、大学生

○治田みずき、女、26歳、ライター

○佐藤つば冴、女、24歳、アイスホッケー選手

 

毎回テラスハウスがつまらなくなるのは第一陣卒業者がちらほら出て追加メンが入りバランスが崩壊した後なので、初期メン時代はまぁだいたいいつも面白いんですが、、それにしても今回の初期メンは今までのシリーズの成功と失敗の英知であると思う。

まず兄貴肌姉貴肌みたいな子が多い。いままで基本男1女1くらいで抑えられてたような気がする兄貴姉貴枠が今回男2女2くらいの比率になってる。

もうみんな冷静すぎて恋愛とかなくない?って思うけどまあ恋愛だけが面白いわけじゃないしぼちぼち恋愛ぽい流れもでてきたので大丈夫だと思う。

新あいのりを見てると思うけど、ああいう恋愛強制感ってめちゃめちゃ現代の流れに沿ってないような気がする。あれはあくまで1990年~2000年前後のノリだなって思ってしまう。そういう空気を出さないテラスハウススタッフとスタジオメンもすごい。

 

■兄貴肌姉貴肌メンとクズメン

年齢そのままの構成で、年長者4人が兄貴肌姉貴肌メンである。

プロスノーボーダー中村貴之、モデル岡本至恩。

ライター治田みずき、ホッケー選手佐藤つば冴。

何が良いってウザいタイプの兄貴肌姉貴肌ではない。僕もこんな兄貴姉貴欲しいわって思うような良さ。鼻につかない兄貴姉貴。

岡本至恩、治田みずきあたりはその辺ちょっと賛否分かれるかもしれないけど。

全員落ち着いてて、かつ喧嘩とかがあっても割と正論を言うので第三者として応援できる。感情論の配分が多すぎるメンバー構成は観てて辛くなる。

そしてクズメンが料理人志望ニート新井雄大

個人的には20歳前後の男子って別にこんなもんだろうしこんなんでもいいんじゃないかな、と思うのだけどスタジオメンからもフルボッコ。時おりテラハメンからもボッコ。

個人的に好きなのがエピソード4~5の流れで、みんなでアウトレットに行こう!となったとき雄大ハイブランドの小物が欲しい~と発言。雄大の所持金が2000円であることを知るみずきはどうやって買うの?と聞くと親のカード!とのこと。それにモヤモヤしていたみずきは雄大に物申すことに……!みたいな展開。

多分こんなんどこにでもいるじゃんとも思うけど、テラスハウスみたいな番組で大事なのは『比較的クズ』がボコられることなのだ。社会的一般論じゃなく、ていうかこの子は社会的一般論でも批判される余地はあるかもだけど、ソサエティ内でどう扱われるかがキモなのである。

歴代のクズメンは正義感の強い1~2人くらいからボコられるに留められてたような気がするけど、今回は他メンバー全員からそれぞれの形でボッコであったりいなされたり励まされたり。衝突が比較的冷静かつマイルドですごく見やすいし見てて辛くない。

 

■モデルメン

毎回いるよ!モデル枠。

今回は現職モデルの岡本至恩と大学生の小室安未。

安未はモデル志望というか、恐らく現状は芸能会社に所属してるレベルでそれで食べていける程ではないから就活しなくちゃだけど就活するにしてもやりたいことがないみたいな年頃女子っぽい感じ。

過去のモデル枠は異様にテレビに関してガツガツしてるか異様に無頓着かどちらかが多い印象だったけどこの二人はバランス感よいと思います。

至恩は賢い印象があり議論の進行も上手いし、コミュニケーションが少ないつば冴をデートに誘ったりして自分のポジショニングもわかってる感じあるしテレビ映えみたいなものもすごく意識してると思う。

安未も出すところは出して、しかし芸能界に入る足掛かりにするまでにはガツガツできない優柔不断な感じが良いと思う。性格悪いとか書かれてるけど、大学生の女の子同士の話なんてそんなもんだよねって思う。テラハ、割と人の感想とか聞くのも面白いんですが、僕ってそこそこ寛容な人間なのかもしれないと思ったりする。

外見が整ってるモデルメンなのに突出した行動がないのがすごく安定感があって良い。

そして安未のザ・女子大生みたいな感性は番組として新しいと思う。

彼女の優柔不断な感じは、現代の子のひとつの象徴だと感じる。

 

■クズメンふたたび

あいのりとテラスハウスが決定的に違うのが、あいのりは卒業イコール恋愛成就もしくは失恋。メンバーも加入時の抱負は恋愛にまつわるコメントが大半。番組のコンセプトとして恋愛はマストなのである。スタジオで登場人物の写真並べて矢印で繋げたり。

テラスハウスは恋がしたい!って言って参加するメンバーは少ない。恋がサムシングエルスとして置かれているのである。めっちゃ現代っぽい!って思う。あいのりの古さはここに尽きると思う。

スポーツで成功したいとか、自分のビジネスをやりたいとか、今回も結構いろんな目標があがる。

その中で突出した目標が新井雄大の『自立』である。

歴代様々な目標があったテラスハウスで史上初、とのことでスタジオがざわつく。

確かに前述の通り、彼は金銭的にも親から自立しているとは言い難いし、精神的にも幼い部分が多々見られる。同年代の安未の迷走する将来ビジョンについて軽くディスり、安未を泣かせ、スタジオから『お前が言うな』と鋭いツッコミが入る。

 しかし彼の存在は我々視聴者に強烈なアンチテーゼを投げかける。わたし達は、こうではないと言えるのだろうか?雄大の様ではないと言えるのだろうか?と。

テラスハウスのメインの視聴者層である10代後半~20代の若者は果たしてみんな目標を持っているのだろうか。雄大が絞り出した『自立』という目標を果たして馬鹿にできるのだろうか?昨日やると言ったことを今日やらない、は無いのだろうか?自分のことを棚に上げて他人を批判したりしてないだろうか?親に甘えてはいないだろうか?

雄大の不完全さ、それから前述の安未の不確かさは現代社会における若者像をテラスハウスというフィルタを通して見事に映し出していると思う。

 

なんかめちゃめちゃ話広がりまくってしまったんですけど。

いろんな面で安定感のある番組で、テラスハウスを現代のリアリティショーの最高峰に持っていったシーズンだと思います。

おすすめなのでぜひ見てください。

恋愛とかキュンキュンとかより、なんか人と人の関係性っていうものをよく映してるシーズンだと思います。

続きがきになる!!

雑記20180115:誰もが風見鶏みたいに風の向き次第で

いまさら2017年の流行語大賞忖度という言葉だったことを知りました。

それと同時に忖度という言葉を知ったので流行語大賞とはなんだろうという気持ちにもなりましたが。そんなご意見番みたいな偉そうなこと言える身分でもないんですがテレビを見ない僕でも35億は知ってたのだから35億の方が流行語っぽくない?って思っちゃう。

そもそもみんなが同じテレビを見て同じ音楽を聴いて同じ話をしていた時代はもう終わりつつあるし『流行語』っていう概念自体が的外れになってきているような気もするんですが。

しかしでも忖度という言葉は選ばれた経緯までは知らずとも確かに着目せざるを得ない存在感があるような気がする。

僕としても、『忖度』的概念について考えることが多かったから。

 

2017年の年末、いまから二週間くらい前のことなんですけど。

年越しのゲイパーティーがシンガポールでも一応あるとのことで行くことに。

いつも行ってるクラブじゃなくて、Suntec Cityっていう大きなショッピングセンターの中の祭事ホールみたいな場所でやるパーティーだった。

すげえ祭事ホールの使い方だなと思うも確かに場所のない国ならではの豊かな発想なような気もする。下のフロアとか普通になんかよくわからんセミナーとかやってたし。

日本でいうと幕張メッセとかの小ホールみたいな、就活イベントとかやるような感じのところ。

そこでズンドコズンドコ……僕たちは年が明けるまで踊り続けてつつがなくさらりとカウントダウンを行ってそれからもずっと踊り続けてまぁ例のごとく友達の友達みたいな子とかともなんとなく話したりていうかこの日はいつも遊んでる子たちがみんな日本に行ってしまったのでそんなに仲いいわけでもない子と行ったのだけどそれでもまぁ楽しくズンドコズンドコ……続いてて。

3時も過ぎると宴もたけなわ~も過ぎ去ってきてぼちぼちみんな帰ろうかなみたいな感じになったりラウンジの椅子とかで死んでる子とか出てきたりして僕も帰ろうかなって思う。雰囲気で伝わって一緒に遊んでた友達もするっとタクシーを捕まえて帰ってしまう。

裏口から出てSuntec Cityの外に出るとびっくりするぐらいめちゃめちゃ人がいる!っていうか見たことある人たち!って思ったらみんなさっきまで中にいた子たちだ。タクシーが捕まらないのだ。友達は交通の便のいい場所に住んでてシェアタクシーがタイミングよく捕まったようで。

僕はいくら呼んでもタクシーが捕まらない。中途半端な郊外の家を選んだ半年前の自分を恨む。恨んでもしょうがないんですけど。歩くにしてもその日は雨だった。うーん。って思ってたら知らない子に話しかけられる。○○の友達でしょ!どこ住んでんの!

誰?って思ったけどさっき僕の友達と話してた子だ。なんとも偶然で隣駅に住んでるらしい。いいよ!おれのタクシー来るから乗ってきなよ!ってめっちゃいい奴じゃん。ふと思うけど、この子も中華系なのだけど、中華系は友達の友達みたいな子的な、そういう感じの身内にめちゃめちゃ優しい。最近気づいたけど、日本人より身内の幅広め、より優しめって感じ。

こっちもこっちでまぁ知らない人じゃないしと甘えてタクシーに乗る。そこからが凄い!どんな会社で働いてるの?お給料は?住んでる家は?HDB(公団マンション)に住んでるの?コンドミニアムに住んでるの?シェアしてるの?家賃は?日本ではどこに住んでるの?実家はどこなの?貯金はどれぐらいしてるの?のらりのらりくらりって答えるけどびっくりするくらい質問は尽きない。

シンガポール人の質問攻めに合うのは決して初めてではなかったけど、タクシーの中というある意味密閉空間でそこそこの時間それに合うのは初めてだった。

忖度という言葉を知った今なら言えるが、2018年開始数時間にして2018年忖度してほしかった瞬間トップテンの上位が決定してしまった。

日本人は引いてしまうけど、とにかくシンガポール人は相手の収入とか住居とか、結構パーソナルな部分を聞きたがる。

 

別の日、日本人の友達の家にシンガポール人も呼んで遊ぶことになった。

上の子とかではなく全然別のシンガポール人なんだけど。その時なんかはもう話が早かった。

もともと僕を知ってるシンガポール人の友達が、連れてきた子に僕を紹介する。

『この子はばんま!何歳でこんな仕事をしててどこどこのコンドに住んでてブラブラブラ……』

流石に給与とかパーソナルすぎる部分は言わなかったもののかつてその子に話した僕の個人情報の1/2~2/3くらいを暴露される。忖度案件である。

今度はその子を紹介してくれる。

『ばんま、この子は何歳でこんな仕事をしてて住んでるのはHDBだけどひとりで借りてて云々云々云々!』

 

僕はちょうど両手で数えられるくらいのシンガポール人の友達がいるが、半年未満の付きあいで、例えば好きな食べ物とか、好きな俳優とかそういうふんわりした個人情報はほぼ知らないけど不動産とか社会的ステータスについては嫌というほど知ってる。

誰々はこんな仕事で彼氏と一緒に一等地にコンドを借りてる、誰々は家がお金持ちで親に頭金を出して貰ってるから海辺にコンドを買えてる、誰々はいい仕事だけどHDB暮らしでその代わり車を持ってる云々。

 

幸いそこまで酷い暮らしをしているわけではないので、こうやって聞かれて劣等感に苛まれるとかはないからまだいいのだろうか。通ってるジムまで社会的ステータスに結び付けるのでちょっと笑ってしまう。しかし聞かれるのも嫌だけど他人のを聞いてもそんなに嬉しくない。

社会人になってから暮らしたことがないから確かなことは言えないけど、経験則的に、中華圏も割とシンガポールと同じような感じなはず。シンガポールだけのお話ではないということ。いかにいままで自分が忖度的社会で暮らしていたかと思う。

 

日本は確かに、言わないことでお互いを傷つけず波風立てないコミュニケーションが主流だと思う。年収が高い人は高い人で言わない。いいマンションに住んでることを隠したりする。年収が低い人は低い人で言わない。日本はある程度年収が低くても明らかに外見でわかったりすることは少ない。

政治宗教野球と言う。信条のあることがらについて話すなという教えである。僕は、君の名は。が好きかどうかも初対面で話すべきではないかなと思うのでここに政治宗教野球君の名は。と付け加えたい。と思ってるけど誰も賛同してくれない。

シンガポールでは政治はまあ一党ではあるけどそこまでタブー感もないし宗教に至ってはまぁ外見や名前で分かる人もいるぐらいだし、そもそも飲食店を選ぶにあたって重要な要素なので初対面で聞かざるを得ない場面すらある。

単純にタブーが少ないのかな、とも思うがそんな簡単な話でないような気もしてもやもやしてた。

 

そこからいろんな日本人とその話題について話すようになった。シンガポール人に聞くとえっ……?(そもそも何を忖度すべきなのかがわからない)みたいな。感じなので。あんまりにも当たり前すぎて個人情報を根掘り葉掘り聞く理由について考えたことがないとのこと。そういうもんだと思ってるのね。まぁそうだよね。こっちはこっちで聞かない、っていうのが当たり前に感じてるわけだし。

最終的に日本人の意見とか、僕の経験とかで結論づけると、彼らなりの忖度のためなのかな、みたいな感じになってて。

シンガポール人、というか特に中華系なのだけど。めちゃくちゃおごり社会で。一緒に飯や映画に行くといいよいいよと誰かが一気に会計をする。あんまりそれを集めることはない。一人が毎回払ってるわけじゃなくて、なんとなく持ち回りみたいな。僕も出しゃばって今日は払うから!と言うとみんな、ああ、じゃあ、という感じでみんなのお会計をすることになる。

台湾に居た時に思ったけど、中華系のおごり社会っていうのは日本みたいな忖度社会とは別のベクトルで忖度が必要になると感じた。相手の収入とか経済状況とかを考えながらおごる状況、回数、金額を調整する。相手にもプライドがある。経済状況が悪い人におごらせないというのも相手の面子が立たない。だから少ない金額の時にその人に払ってもらったりするよう調節するのだ。

シンガポールでは教育を受ける年数も人によって違う。兵役とかもある。何歳だから社会人歴何年と一概に決まってない。家族という概念の結びつき方が違う。実家の経済状況も日本以上に自分のお財布にヒットしたりする。親孝行だってかけた金額、は結構大きな要素のようである。

いやまぁいろいろ言ったけどたぶん6割方はたぶん興味だと思うんですけどたぶん。4割方くらいはそういう経済的格差をある程度友達内ではフラットにしようという忖度的な考えの元なのかなって結論付けてるんですけど。どうなんでしょう。

各国それぞれの忖度があると思うと世界の優しさに胸が熱くなりますね。

 

こんな忖度忖度って流行り言葉(日本では本当に流行ってるんですか?)いっぱい使うつもりなかったんですけど。

バズり動画大賞とかの方がもう面白そうだよね。

書評20180111:大黒屋光太夫(吉村昭)

書評っていうかw

偉そうに書評とか言ってんじゃねーよ感、自分でもあるんですけど。

ちょっと適切な言葉が他に浮かばないのですいませんね。

 

年末に三谷幸喜清水ミチコのラジオを文字起こしした本読んでたんですよ。

ちょっと前のだけど面白かったです。

二人とも各々の専門分野や興味に対する知識をしっかり持ってることと、観察眼がエッヂ利きすぎてて超面白いです。

三谷幸喜は度々流行る映画や古畑任三郎だけじゃなくて、大河ドラマ新選組!!とか真田丸の脚本もやってるんですけど、歴史オタクなんですね。

その三谷幸喜がこのラジオの中でぽろりと名前を出した歴史上の人物がいて。

大黒屋光太夫という人なんですけど。

正直、僕日本の歴史本当に本当に本当に好きじゃなくて。

この人が教科書に出てきたかどうかも知らないんですけど。どうなのかしら。

 

大黒屋光太夫江戸時代に、日本の歴史上で初めてロシアに漂流して帰ってきた人なんです。

ただ帰ってきたわけじゃなくて、当時のロシア帝国の帝都であったサンクトペテルブルクまで行って、女帝のエカテリーナ二世に謁見して許可を貰って帰ってきた人なんですよ。

え~~~~~面白そうじゃない~~~~~!!?

 

あの歴史の何が嫌いって、僕もう小さい頃から海外とか好きだし海外にばっか興味あったのに歴史にはあんま海外が出てこないんですよ。いや出てきてたんでしょうけどこんなん歴史勉強しなかった言い訳なんでしょうけどまあ出てこないってことにしといてください。永遠に鎖国してた国、日本。

小説読むのは好きでも、歴史小説だけは読まなかった。歴史が不勉強だから背景があんまよくわかんなかったりするし。登場人物の名前とか覚えられないし。

って思いながら調べたら割と最近書かれた小説を発見。

その名も大黒屋光太夫。そのままですね。

これなら読めるかなーとkindleで購入するもなんとなく放置。。

しかし読み始めたら数日で上下巻読み終わしてしまいました!

 

ホントに脚色とか加えてないの?って思うぐらいに壮絶なストーリー。

大黒屋光太夫は船乗りとして十数人の船員と共に三重から江戸に向かう途中で嵐にあう。

すごいのはこの方、船が嵐で大破しまずはアムチトカ島(アメリカ領、当時はロシアの植民地)に流れ着く。

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そして植民地管理者のロシア人に連れられロシア本土のカムチャッカへ。

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そこから様々な都市を経てヤクーツク

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最後が女帝の謁見のためにサンクトペテルブルクへ。

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鉄道もない時代にものすごい距離移動してるんですよ。

その間のドラマも壮絶

まあそりゃ当たり前なんですけどただ移動してるだけじゃなくて行く先々で起こる起こるドラマ。 

 

この大黒屋光太夫の話のキモは複数あります。

①気候

主人公の光太夫達は比較的温暖な三重の出身です。

きっと北海道出身だろうがキツいようなロシアの寒さ。

凍傷なんて生ぬるく、冷気にさらされた部分がすぐに壊死してくような環境。

もちろん江戸時代ですから医療技術の拙さもあり。

寒さにやられた者はどうなるのか。どう生き延びるのか。

②改宗

当時の日本は鎖国時代。もちろんキリスト教徒は日本人であろうと入国はできません。

しかし、ロシアでは異教徒は墓場に埋葬してもらえない。

日本に本当に帰れるかわからない環境の中、改宗しないままロシアで死んでしまえば自分の死体は街の端に打ち捨てられるのみ。

それだけでなく、なぜかロシアの役人はしきりに光太夫たちに改宗を促す。

しかし改宗してしまえば日本への帰国はままならなくなる!

太夫たちはジレンマに打ち勝てるのでしょうか。そしてなぜロシアの役人は漂流民たちに改宗を促すのか。

③言語

当時は鎖国もしてましたし、日本のヨーロッパの貿易先はオランダのみ。

オランダもオランダで資源が豊富な日本が他のヨーロッパ諸国に興味を持たないようあまり他国の情報は流していなかったそうです。

そうなると一般市民はロシアの存在なんかほぼ知らない。ロシア語なんて話せるわけもない。

その中から『これは何ですか?』から覚え生き抜くためにロシア語を習得していく光太夫たち。そしてロシア人とも交友を深めていくことに。

ロシア人との関りが光太夫の未来をどう変えていくのか。

 

ここらへんが面白いポイントだと思います。

大黒屋光太夫歴史小説である以上に、サバイバル小説だと思います。

まず第一に気候が厳しい。そして第二に帰国とロシア定住のジレンマ。なにより未知の人々との交友。

脱落や離別、出会いなど本当に史実かと疑うほどのドラマティックさ

めちゃめちゃ面白かったのでぜひ読んでみてください。

太夫の生きざまや物事へのスタンスはちょっと自分の人生の参考にもなります。

僕が脚本家だったら大黒屋光太夫大河ドラマ書きます。でも難しかろうな。

 

ちなみに同じ大黒屋光太夫についての本はいろいろ出てますが、僕が読んだのはこちらです。

こちらは出版も比較的最近で、資料がその後見つかったため内容も濃く、エンディングも史実の通りとなっています。

 

ただ、こっちの方が短いです。なのでお好きな方を。

岩波新書岩波文庫でも光太夫についての資料は出ているので、日本に帰ったら読んでみようと思います。

ちょっと歴史小説も悪くないかなと思い始めた2018年はじめでした。