Epistemicia by Banma!!

バンマのブログ。 Twitter : banmac

記録20171115:涙色の花束を君に

僕はその日『ルポールのドラァグレース』を観ていた。

それは週末で。その週はなんとなくパッとしない週で、金曜の夜に新しいクラブに行ったりしたけどそれでもパッとしなくて、とりあえず家に居た気がする。ただ落ち着かなかったのか、虫の知らせみたいな何かだったのか今でもわからないけど。とりあえずなんとなくザワザワしてた気がする。クラブに行く途中で友達に『ルポール~』の話を聞き、行ったクラブの壁にルポールの名言"If you can’t love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?"が書いてあってこれは運命かもしれないと土日観続けていた。

 

ら。

 

日本の友人から連絡があった。

共通の友人が、亡くなったとのこと。

亡くなった友人はゲイで、連絡をくれた子はその彼氏だった。

 

亡くなった人のことは友人というか、何かもっと複雑で複合的な関係だった気がする。干支一回りくらい年上ではあるけど、なんとなく気が合ったのか、家に招いて飯を振る舞ってくれたり、みんなで旅行に出かけたり、たまにゲイナイトに遊びに行ったり、誕生日を祝ったり。母であり兄であり友人でありなんだりかんだりみたいな……自分がゲイとして生きる指針みたいな感じの人だった様な気がする。これからのことはわからないけど、きっとああいう人は僕の人生において空前絶後的な存在なんだろうなと思う。

僕は20歳くらいで遊びに出るようになって約8年間新宿界隈をブラブラしてたけど、その直近半分以上を共に過ごしていたし、もちろんこれからも一緒につるんでいくものだと思ってた矢先。

 

あんまりその後数日のことはきちんと思い出せないけど、宙に浮いたみたいに現実感がなくて、セロファンか何かを通して世の中を見てるみたいだった。悲しい、というかそれ以前にあまりよくわからなくて受け入れられなくて理解ができなくて無感情だったような。たまたまシンガポールに来ていた共通の友人と話をして会社にも話をして帰国の手配をして。知らせを聞いた日曜日の数日後、葬儀の当日の早朝ギリギリに着く便。

知らせを聞いた日曜日から、ずっと眠れなかった。夜、寝ようとしても目がギンギンなのだ。興奮状態というのかなんなのか、年上の人が不眠で~みたいな話をしてても僕は無縁だなと思うくらいに僕は眠りについて悩むことはなかった。でも、こういうことか…!って思った。寝れない、ってこういうことなんだ。人生ではじめての経験である。いまいち眠りにつけない日は目を閉じて、人生で最も観ているであろう映画『八日目の蝉』を脳内で再生する。(業が深いな……)いつもは中盤(劇団ひとり井上真央を抱くあたり)にいく前に寝てしまうのに、この数日間だけは脳内で何度も再生した。でも寝れなかった。

 

不眠も初体験だったけど、お葬式も初体験だった。正確には、小さい頃一度だけ、会ったこともない親族の葬儀に参加したことがある。遺影の顔は知らなくて、ただ母親に大人しくしているよう言われ、火葬されたお骨を知らない大人と一緒に長いお箸で持った、断片的な記憶。でも、きちんと知ってる人のお葬式ははじめてだった。

着るものとか、作法とか、持ってくものとか言うべきこととか、とにかくググったけどよくわからない!なんかもう流派?宗派?とかすごいいろいろあるしこれはすべきとかしなくてもいいとか人によって違うこと言ってるしその割に最終的には気持ちとか言うし!大変!これもプチパニックだった。そもそも喪服なんて持ってない。

いろいろ考えた挙句ネットでレンタルした。レンタル喪服。レンタル数珠。最近はなんでもあるな…って。あと伸ばしてた髭も剃った。

 

日本に向かう深夜便でも寝られず、日本に着いたらフワフワとスーツに着替えて葬儀場に向かう。現実味とかなかったけど、小さなお寺に着いたら、衝撃を受ける。

当たり前なんだけど、亡くなった友人の名前が入口に掲げられてあったから。

あ……え……本当なんだ……みたいな。いや当たり前なんだけど。でも猜疑心?というかこういうこの受け入れ難い!みたいな時の変な感情はなんていう名前なんだろう、なんかそういう感情がちょっと氷解してその中にある悲しい!がむき出しになる。

でもやっぱちょっとまだわけわかんない。本当?え?嘘?悲しい!よくわかんない!悲しい!本当?みたいな。回転寿司みたいにいろんな感情がバンバン流れてくる。やばい。どのお皿も食べたくない。

 

受付は訃報を連絡してくれた友人で、もともと頭の中で受付の人にご愁傷様ですとかこの度は残念な云々とか言う言葉を考えてたのに、何も言えなかった。恋人を亡くした友人にそんな定型文で何かを言うべきなのかがわからなくなって。それと、受付の後ろ側の座敷に控えてる参列者たちが座って項垂れてる姿。こんなに沢山の人が会して悲しんでいる姿を見るのははじめてだった。共通の友人も多かったから、知ってる人も沢山いた。その光景を見て頭の中が真っ白になってしまった。何も言えないまま座敷に通され、時間が来て、告別式を行う部屋へ通される。

 

お寺の入り口で受けたものと同じ種類の、でもその数百倍の衝撃を受ける。

遺影。

数か月前にシンガポールに行く僕の送別会をしてくれた。昔の誕生日会。みんなの誕生日会。離島に旅行に行った時のこと。スノボに行ったこと。2人乗りのリフトでした秘密の話。食べる顔。服を買いに行ったこと。旅行先でみんなで夜遅くまで話した時のこと。カラオケ。自転車に乗る姿。

すべて憶えてる。生きていた時の姿がありありと思い出せるのに、写真の中の友人は動かなかった。証明写真みたいな、スーツを着た姿で、生きてた時と同じ顔なのに動かなかった。

遺影が、お花に囲まれていて。住職が出てきて念仏を唱える。

 

この時の感情は、一生忘れない。

 

僕は、あまりにも衝撃的で泣くこともできなかった。

『死』がそこにあったから。

いままで頭の中でただの概念とか、ただの知識だったそれが現実になって、目の前に現れて、経験に変わってしまったから。その気まぐれさとか唐突さとか、圧倒的な存在感とか、いままで絵空事みたいに語られてた『死』が自分の中に入ってくるような感覚だった。その日まで、その瞬間まで僕が自分の中に抱えていた一切とはベクトルが全く違う概念だったと思う。暗い暗い絶望で、それは、深淵の端っこを撫でるような気持ちで。

大好きな小説によしもとばななの『アムリタ』がある。毎月のように読み返しているのだが、主人公の女友達が、親のコネで入った会社の上司と不倫をして、その上司の妻に包丁で刺されて怪我をする。その時のことを、その女友達が『いつも金属のピアスや指輪を身に着けているのに、刺された時ばかりは包丁が、自分とは違う素材であることに気づいた』と語るシーンがある。

異物感だった。大好きな小説のその部分を思い出しながら、自分の中に入ってくる『死』に対する異物感を抱えていた。いままでの人生で見てきた、感じてきた、触ってきた、どれとも違う、圧倒的な異物感。

衝撃で、それは今まで感じたことがないくらい大きな気づきの衝撃で、締め付けられるように頭が痛かった。ロキソニンを持ってないことを後悔するくらい頭が痛かった。

死ぬことは、ただ終わることじゃない。もっと膨大で、広大な様々を内包した現象。

自分の人生が終わるまでの時間を以てしても語りつくせない何か。

 

いつの間にかご焼香が始まる。前の人の真似をして、途中でふと顔を上げて遺影を見る。遺影と目が合う、ような気がする。動かない。あっ、死んでしまったんだ。居なくなってしまった。亡くなってしまった。終わってしまった。表現はなんでもいいんだけど、ついに何かが腹落ちする。やばい。いままででいちばん悲しい。

ご焼香は長い列になっていて、いつまでも終わらなかった。親族の方、友人、会社の人、友人、友人、会社の人、友人、友人、友人……友人多いな。僕たちだけじゃなく、本当にいろいろな人に愛されてた事実もまた胸を打つ。不謹慎かもしれないけど自分が死んだ時にこんな風に沢山の人が訪れるのだろうか?と疑問に思うくらい沢山の人がご焼香に来ていた。悲しい。悲しい。悲しい。大変である。

 

次はお花を……と係の人に案内される。棺桶を花でいっぱいにするのだそうだ。白と青のお花を受け取り棺桶に近づく。あ、宇多田ヒカルの歌、と思った。涙色の、花束を君に。『涙色』っていうのはこういうことだったんだろうか。宇多田ヒカルが母、藤圭子の葬儀について歌ったと言われている『花束を君に』。この日から、何度聴いても悲しくて涙が出る。

棺桶。遺体。白くて、ちょっと生きてた時より瘦せた顔。

もう話せないんだ、声も、僕を呼ぶ声とかみんなを呼ぶ声とか。思い出せるのに。

生きてること。ご飯を食べることとか寝ることとか、話すこととか働くこととか。すごく貴重なことなんだと思う。いつか、それができなくなる日が来るのだから。

何を言えばいいのかわからないまま手を合わせる。

ご焼香と同じで、お花も沢山の人が並んだ。手を合わせた人、見ていた人、話しかけた人、泣き崩れた人。死は等しく訪れるのに、死の解釈は皆違う。皆、どう思いながら、どう感じながら今日を迎えて、ここにいるのだろうか。

 

最後に棺桶を霊柩車まで運ぶ。親しい友人、ということで棺桶を持たせてもらった。

棺桶は冷たくて重くて、切なかった。

 

離れてく霊柩車。散り散りに帰る参列者。片付けが始まるお寺。

お祭りの終わりみたいだった。

 

それから、僕は昼も夜も沢山ご飯を食べて、その日の夜、数日ぶりに眠った。

暗くて深い、この世の終わりみたいな眠りだった。

その日からは、毎日眠れるようになった。

 

お葬式の翌朝、早く起きてしまって、亡くなった友人が住んでいたマンションまで行った。何度も何度も遊びに行って、飯を食わせてもらった場所。

もうここにみんなで集うことがないこと。

たくさんの思い出だけは、楔みたいに残っていること。

打ちひしがれてしまってその場で大泣きした。

ひとりで、早朝の都心で。いままで泣いたことがないくらいに泣いた。

人が居なくなることの悲しさをはじめて本当に知った。

 

亡くなった友人が僕に与えてくれた沢山のものを忘れないようにしながら、それを他の誰かに与えながら、きちんと生きていこうと思った。

生きて、生きて、一生この日のことを忘れない。