コスメ20180105:男子こそ美容オイルを使うべきじゃない?って思ってる。
男子たちの美肌ブームは留まるところを知らない。
……みたいに言いたいんだけど。わりとそんなことないですよね。
肌キレイで損しないと思うんだけどな、と思いながら。
すげー思うけど、教えてくれる人がいないからやらない。って人は多いと思う。
それなら僕が教えます。
いろいろ迷いに迷った挙句!よくわからなくて!
高い化粧水!高い乳液!買ったよ!これで大丈夫!
ってなるなら美容オイル使ってください!!
安い化粧水と併用とかでいいから。
男子のスキンケア問題は、そもそもスキンケアにそこまでお金と時間をかけたくない、ってとこだと思います。
しかもドラッグストアや百貨店に行っても何を買えばいいかわからない。。みたいな。。
美容オイル買ってください!!
ものすごく乾燥するタイプだとオイルは良くないそうですが、皮脂肌や混合肌の人には効果てきめんです。皮脂となじみやすいので。もうオイリーなのにオイル塗んのかよ!って思うかもだけどオイリーなら逆に塗って!
僕はもともと肌がそんな綺麗な方ではなかったですが、今、美容オイル+安い化粧水と乳液で肌めちゃ綺麗になってます。
もともと美容オイルって何年も前にスキンケア好きな人の中でちょっとざわざわして流行り始めて……みんな、顔に油塗るんですか?みたいな反応で。でもすごく良いのでどんどん美容液的なポジションとして台頭してきた存在なのです。
顔には油膜っていう膜があってそれと馴染みがいいとか、あとは肌にいい成分(抗酸化物質とか必須脂肪酸とかね)とかが含まれてるからいいとか、、
栄養を顔に塗りつけてる感がたまんなくてやめられなくなりますね。
順番としては洗顔後に……
①美容オイル
②化粧水
③乳液
で塗るとよいです。①と②反対でもいいですし、お店の方に聞くとそのオイルに合わせたおすすめの順番を教えてくれます。
下記、おすすめのオイルです。
ぜひぜひ参考にしてね。お店で買うのが恥ずかしい子はアマゾンで買おう!
オイルブームの始祖って感じです。
ちょっと固めのテクスチャですが、少量手に取って塗ると良く伸びます。
アルガンからできたオイルで、オレイン酸やリノール酸が含まれており抗酸化作用抜群でございますね。
朝夕使用でもこれ一本で3ヶ月~4ヶ月もちますのでコスパはめちゃいいです。
クナイプジャパン ビオオイル
メルヴィータ高くない?って方。
コスパ最強はクナイプです。入浴剤のクナイプ。
サフラワー油、オリーブ果実油、グレープフルーツ果皮油、ヒマワリ種子油、ビタミンEと値段は安いですが成分はしっかり天然。
少し他のオイルよりべたべた感があるかな?と思います。
僕は湯舟に入ってるときにこれを顔に塗ってパックみたいにしてました。
アルビオン ハーバルオイル ゴールド
真打ちです!!!!!!!!!!!!
いろいろオイル使ってきましたがこれが一番おすすめ。
価格も少し高いですが、一度の使用は2~3滴なので朝夕使用でも3~4ヶ月は持ちます。
なにより肌が荒れてようが乾燥してようが最上の状態に戻してくれる感。
ハーバルオイルゴールドちゃんに出会って僕は高い化粧水や乳液を買うのをやめました。
人生のベストコスメを決めるならこれ!ってぐらい好き。
ジャングルの黄金『インカオメガオイル ※プルケネチアボルビリス種子(エモリエント成分)』と、砂漠の黄金『ゴールデンホホバオイル』を配合。
とのこと。途中よくわからないけどとりあえずありがたそうじゃない?
ばんま、1推しです。めちゃめちゃいい匂いなのがまた好き。
さらさらしたテクスチャで伸びもいいです。
RMK Wトリートメントオイル
アルビオンはちょい高い、、けどメルヴィータより少しいいものが欲しい、、みたいな方(いるのか?)におすすめ。
デパートコスメですがコスパすごくいいと思います。
アルガンオイルなど複数のオイルが配合されたオイル層と水性のうるおい層が2層になっているちょっと珍しいオイル。
分離しているのでちょっと振ってから数滴。ハーバルオイルゴールドもですが匂いがよくてそれだけで楽しみになってしまう系。
オイルを塗るのは、、って抵抗感ある人にもおすすめです。
オイルだけではないからなのかかなりさらさら系です。肌もさらさらになります。
HABA スクワランオイル
ちょっとこれは変わり種というか、上で紹介したものとは少し違いますね。
ビオオイルではなく、人の肌にもともとあるうるおい成分のスクワランが配合されてます。
萬田久子も使ってます。なんならマギーも使ってます。
マギーってちょっとこういうとこ親しみやすくていいですよね。
人の肌にもともとある成分なので浸透率が高いとのこと。
さらさらというか、どちらかというとつやつや系の美肌になります。
これも相当もつのでコスパは非常にいいです。
キールズ ミッドナイト/デイリー ボタニカルコンセントレート
キールズは男の子でも入りやすい店構えかなと思います。
新宿伊勢丹でも一番メンズ館側にあるしね。
デパートコスメの中では一番店舗で試しやすいし購入も躊躇なくできる気がします。
朝用、夜用で分かれてるちょっと珍しいオイルです。
テクスチャはどちらも少し固め、それぞれ匂いが違うので朝夕楽しみになります!
個人的な事情でハーバルオイルゴールドが現在入手できないので今はこれを使ってます。
夜用は月見草油なる聞きなれない成分。ラベンダーの香りです。
朝用はタマヌオイル、ひまわり種子オイルなど。柑橘系の香りです。
夜用はさらっとしてて、朝用は少しつやっとしてます。
気になるけど金銭的に厳しい!って方はもともとロングセラーの夜用から試してみるといいかも。
スポイト式なので使ってる時にビンを倒すと死にます。
ちょっとはらはらするのでそこだけ好きじゃないかも、、
これは化粧水の後に使うのをキールズ公式がおすすめしてます。
以上がばんまの美容オイルのおすすめです。
一回使い始めたらほんとにずっとやめられなくなるくらい良いのでみんな清水の舞台から飛び降りて!!オイルの海に飛び降りて!!
ぜひ今週から美容オイルにトライしてみて!
雑記20180105:永久不変の優しさに包まれていたい
新年早々物凄い肩こりに苛まれておりますが、年明けからシンガポールの心霊スポットなんて調べた所為でしょうか。
シンガポールにも心霊マンションとかあったりして笑っちゃいます。
もともとシンガポールは土地が狭くお墓を潰したマンションはすごく多いらしいんですが、どちらかと言うと心霊マンションはお墓系よりは不慮の死を遂げた過去の住人の呪い系(他に何系があるのか)が多いです。
どうでもいいですね。
肩こりにはこのタイガーバーム塗ってますが、塗ると焼けるように熱くなった後に肩こりが消え去る謎のバームです。
欲しい人いたらLINEしてね。
2017年は相当に肩こりに悩まされたこともあり、今年は肩こりから解放されたいなーとか思ってて。
そういえば今年は○○!みたいな目標を立てていないことに気づく。
いろいろ考えたのですが、、日記を書き続けたいと思ってます。
ブログじゃなくて自分用の日記ね。
■なぜ日記なのか
今回言いたいことハッキリしてるのでトピック式で供述しますね。供述て。
僕は今、日々の記録であったり自己表現であったりの手段が7つあります。
Twitter(ゲイ垢/表)
Twitter(ゲイ垢/裏)
Twitter(ノンケ垢)
Instagram(ゲイ垢)
Instagram(ノンケ垢)
閉じてたり開けてたり人を選んでたり選んでなかったりしますが、とりあえず全て他人に公開する前提の媒体となります。
思い起こせば私たち平成生まれは物心ついたころから自作HP、mixi、FB、Twitter、インスタグラムとSNSの沼に浸かっています。となるとなんか文章表現がやっぱり他人ウケみたいの考えちゃう部分とかなくはなくて。
最近やっとインスタ映え、みたいな言葉が浸透してきたものの。あれはmixi時代とかもっと前からずっとあった概念だったと思うんですよね。文字に起こすなら何か面白いことを書かねば、意義のある何かを探さねば、マウンティングできる要素はあるだろうか。みたいな。
そういうのに疲れたのかなんなのか、昨年末くらいから完璧にクローズドな媒体に記録を残したい願望がふつふつとあったのです。
あとなんかいちおうせっかく海外で暮らしてるし~とかもちょっと理由かも。
完全にクローズドに記録を残す、ってなるとあたりまえだけど日記になり。
■どう日記を書くのか
日記を書こう!と思い立ったことははじめてではないのでもちろん僕にも大量の挫折歴があります。そこから導き出した結論としてPCで書こうかなと思い。
いろんな日記ツールについての所感。
→日記本(ペーパーベース)
日記本を購入して日記をかくやつですね。これが恐らく挫折歴最多。
ひとつは僕がマジで字が超へたくそなので自分の書いた字を見直すとテンションが落ちること。日記って書いて終わりじゃなくて結構見返すものなのですが、とにかく自分の字が好きじゃない。
そして第二に隙間を埋めたくなること。まあこれは日付毎にあらかじめ区切られてない、日記帳用ではなく普通のノートにかけばいいのですが。僕は用意されている四角にみっちり文字を埋めたくなるんです。結局それを毎日やってると疲れてしまう。
あとは最近、母親からいまバンマ君の中学生の頃の日記発見して読み返してるよ!とかLINE来たりして愕然としたのですが自分の身辺に起きた一切を記録したいって思ったら、後から他人が気軽に見れるっていう性質はちょっと問題なのかなとか。
モレスキンとか、すごく可愛い日記本が出てるので、いつか自分の性癖たちに折り合いがつけられた日にはモレスキンに強固な南京錠をつけてシフトしたいですね。
→携帯アプリ
いっぱい試しました。iTunesストアの日記アプリって調べて出てくるTOP10は全て使ったんじゃないかなって思うくらい。最近のは本当に使いやすいです。携帯だと写真とか簡単に載せられてね。デザインが可愛いものも多いですし。
しかしどちらかと言うとアプリが悪いというか、携帯で書くという性質上、途中でLINEの通知が来たら書くのをやめてしまったり、書きあぐねてTwitterを始めてしまったり。
携帯は旅行時もつけられるしすごく便利ではあるんですが、、僕が集中力最強マンに変身した暁には携帯アプリを使わせていただきます。
→ブログ(非公開)
これもいろいろ探したものの、ウェブに一度載せるという性質上検索にひっかかったりするとのこと。あとやっぱりブログは公開前提にできているので使いにくい。
→メール
日記用のメールアカウントを作り、毎日自分宛にメールを送る。みたいな。
これは管理が面倒だな、、というのと、ブログと一緒でネットの海に放り込むのはなぁ、、みたいな。
→Wordとかメモ帳とか
悪くないけど管理がめんどくさい。
ということで最終的にPCのソフトで書くことにしました。
いろいろ見てみて、選んだのはこちら。
起動もはやくてシンプルで使いやすいです。
機能も必要なだけ抑えられてる感。
この方と1年間頑張りますね。。
■やってみてどうなの
とはいえまだ5日ですけど。
日記いいなあと思うのは上述のようなネットウケを期待しなくていいこと。
とりあえずその日あったことと思ったことを書き連ねてます。
あとは思い出すこと。
人間の機能で思い出す、ってかなり大事なことなんだなって最近思います。
特に僕はハイパー記憶力悪いマンなので。
日記を書いてなかったときより、寝る前に1日を思い返す今の方が後から考えても記憶が鮮明です。
そして気持ちとかは書いてるとちょっとスッとします。
僕が通うジムにはゲイのスタッフが数人います。出会い系アプリで彼らの内のひとりからメッセージが来て、会うことになったのですが。ちょっと理由はわからないものの会う直前でドタキャンされ、その後僕がジムの会員だと気づいた様ですが異様につれない態度。
なんかこういう日々のもやりとしたことって個人的にはTwitterとかに書き散らすほどではないし、友達に話すにしてもオチもないしな、と何も消化できずに終わってしまう。
ただ日記に書くとなんとなくそういう気持ちが処理できた気になるのです。
毎日は難しいかもだけど、1年続くといいなぁ~
1年後にこの記事をこっそり削除とかしてませんように。。。
一生の習慣になるといいなと思います。
バンマ2017
なんか毎年クソみたいな長文書く年末(もはや年始ですけど)まとめブログですが2017年はなんかもう要素多すぎて書き連ねたらハリー・ポッターと不死鳥の騎士団くらいの文章量になってしまったので一度書いたまとめを再構築し更にまとめました。
年を重ねるってことは人生の神髄に近づくことで、その神髄を見て見ぬふりしたり向き合ったりしてくうちに人は深くなっていくのかなって思って。
人生は『不変ではない』ということにほんとうに気づかされた年でした。
辞めないと思ってた仕事を辞めるとか。
ずっと居ると思ってた東京から居なくなるとか。
新しい場所で友達なんてできないって思ってたらちゃんとできたとか。
ずっと居なくならないと思い込んでいた人が居なくなってしまったこととか。
社会人生活に慣れるにつれて『不変』であると思い込んでたものがボンボン変化していって。
それはたぶん読みの甘さとかじゃなくて、変わり続ける、っていう人生の本質をきちんと理解できてなかったんだろうなって今は思います。
占いの人みたいになっちゃうけど。
冷静に考えれば人生が不変であると思ってた時より不変ではないと気付いた今の方がきっといい状態なのではないかなとも思い。
毎日毎日、日々自分や状況が変わってくなら今をもう少し大切にできるよねと。
いやーんなんかスピリチュアルおばさんみたいに変化していく自分も許さなくちゃいけないんでしょうか。
2018年はまた新しい環境になるので、シンガポールで身につけた自信と共に新しい生活を始めたいです。
シンガポール、地味に離れたくないな!
映画20171205:COCO(邦題:リメンバー・ミー)
前回のブログのようなことがあり結構最近『死』とかそれに準ずるものについて考えるようになったんですが、
丁度現地人の友達にディズニー/ピクサーの新作映画に誘われましてん。
行くまで知らなかったのですが、新作映画の舞台は『死後の世界』。
タイムリ~!とか思いながら上映中めっちゃ涙腺崩壊。
11月末公開でしたが既に2回観てしまいました、、、
もしかしたらもう一回くらい観るかも、、、、
映画の名前は『COCO(邦題:リメンバー・ミー)』。
個人的にピクサー最高傑作なんじゃないかなって思うくらい良かったです。
日本公開まだなのでネタバレないようにブログ書きますね。
(僕、ネタバレ基準がガバガバなのでネタバレしてるって感じちゃったらごめんね)
公開されたら即、観に行ってね。
【ストーリー】
音楽が大好きな12歳のミゲル。しかし彼の一族は音楽を禁止していた。
遡ることミゲルのひいおばあちゃん、ココの母親が作った掟によるものである。
ココの父親は音楽のために家族を捨てたのだ。
ココの母親、ママ・イメルダは憤慨し一族に音楽禁止の掟を作り、靴屋の商売を始める。
ミゲルももちろん将来は靴屋を継ぐことが約束されていたが、それに疑問も感じていた。
家族に隠れて故人である偉大なアーティストのデ・ラ・クルスを聞き、こっそりギターを練習することがミゲルの習慣だった。
亡くなった先祖が戻ってくるという言い伝えのある『死者の日』(日本でいうお盆みたいな感じですかね)のお祭りで、ミゲルはこれまでこっそり練習してきたギターを披露しようと思いつく。
しかし自分のギターを持たないミゲルはデ・ラ・クルスの墓から遺品のギターを拝借してしまう。
そのギターをひと弾きした瞬間、ミゲルは生者からは見えなくなり、死者の世界の存在となってしまった。
死者が見えるようになったミゲルは、死者の国から生者の世界へ戻ってきた自分の先祖たちと出会う。
しかし、ママ・イメルダだけはなぜかこちら側に戻ってこれないとのこと。
ミゲルを生者の世界に戻すため、また、ママ・イメルダが戻れない原因を探るため一同は死者の国へ。
その道中ミゲルは、ママ・イメルダと同様に生者の世界に戻れない男、ヘクターを見かける。
生者の世界で遺影が飾られていない死者は、生者の世界に幽霊として戻ることができないのである。
『死者の日』のドタバタでママ・イメルダの遺影の写真を持ってきてしまったミゲルはヒヤリ。
ママ・イメルダが生者の世界に戻れないのはミゲルの所為だった。
死者の持ち物を盗んだミゲルは呪われてしまい死者の世界の住人になってしまっていた。
自分の先祖の祝福があれば元の通りに戻れるという。
一刻も早く生者の世界にミゲルを戻し、自分の遺影を直してほしいママ・イメルダはすぐさまミゲルに祝福を与える。
ミゲルが音楽に夢中になっていることを見抜いたママ・イメルダは『二度と音楽に関わらない』という条件付きで。
音楽が無いなら元の世界には戻りたくない!とママ・イメルダの祝福を拒否したミゲルは先祖たちの元から逃げ出す。
生者であるミゲルにお願い事があるヘクターの協力と共に、、
みたいな感じです。
【感想】
ストーリーくそ長~~~~~~~!!!!
しかしこれでも序盤ですからね。
一番の感想は、めっちゃお話良くできてるな~~~!!ってところです。
笑えるし泣けるしってところはもちろんなんですが、キャラクターと設定の使い方がピクサーは上手い!
主要人物は主人公のミゲル、孤独な死者のヘクター、『音楽禁止』の始祖ママ・イメルダ、ミゲルの憧れのアーティストであるデ・ラ・クルス、そしてキーパーソンであるミゲルの祖母ココ。
あとなんかミゲルの仲間の野良犬。
みんな役割も見せ場もあって良い!
僕は小説と同時に脚本も書いてみたりみなかったりしてるのですが、2時間ですべての主要人物に意味と役割を与えるっていうのが一番難しいポイントのような気がしてます。
ピクサーに弟子入りしたい!
マリーゴールドの花をはじめ、カラフルでポップなビジュアルも非常に良いです。
そして設定の使い方も上手!
『死者の日に自分の遺影が飾られてない死者は生者の世界に戻れない』
『生者の世界で自分のことを覚えている人がひとりもいなくなったらその死者は死者の世界からも消える』
『呪われた生者は、祖先がマリーゴールド(死者の日の花)に込めた祝福を受け取れば呪いが解除される』
上記3点が序盤で説明されるこの映画の設定ですが、使い方が上手!(褒め方ワンパターンかよ)
特に2番目の設定!設定の説明の場面で既に号泣!
お話としてもよくできてるな、と思うんですが。
この設定たちによって、小さい子とかが疑問に思いがちな死者に対する慣習の意味をわかりやすく伝えられてるのが本当にグッドです。
かく言う僕も、祖父、祖母は物心つく前に皆亡くなってしまっていて。
お盆の習慣とかお墓参りとか、退屈で退屈でここ十数年はやってませんでした。
お墓ってカエルとかいるし。めちゃめちゃ苦手なんです。
会ったこともない先祖のお墓に言うこともないかな、とか思春期は思ったりしてたし。
そもそも習慣の意味がわからないな~って小賢しい子どもだった僕は思ってました。
ミゲルが死者の世界で自分の先祖が自分の成長を見守っていたことに気づき、彼らが必死で死者の世界から帰してくれるよう自分の身を案じていることに気づき成長するストーリーライン。
自分の先祖に出会って家族の大切さに気付くみたいなのがひとつの核ですね。
ああ~~~まじおじいちゃんおばあちゃん会ったことないけどホントごめんね!って感じでしたわ。。
最近のこととか、自分の祖父祖母のこととか、いろいろ考えて号泣ムービー。
ずっと、ここ最近は『死』とか逆に『生きること』とかそういうものの真髄とか、割り切り方とか、そういうことをテーマにした映画とかを選ぶ傾向があったけど。
どれもなんとなくしっくりこず。
今このタイミングでこの映画に出会えたのは奇跡だなーと思います。
ちなみに、観てた中では映画じゃないけどドラマの『すいか』第6話が一番しっくりきたかも。
もともと大好きなドラマで、第6話がお盆の回であることを知ってたのでこの回だけ見直してました。
教授(役名ね)が30年前に死別した恋人に語り掛けるシーンは何回見ても号泣。。
COCOももちろん良かったけど、もし何かそういう映画やドラマでおすすめあったら教えてください。
【おまけ】
ちなみに同時上映でアナと雪の女王の続編?のショートムービーもあります。
同じ城の中、離れ離れで育ったエルサとアナにはクリスマスにはこれをやる!という伝統がない。
そんなふたりを案じてオラフがふたりの為にクリスマスの伝統を探しに行くものの…みたいな話です。
このショートムービーもなかなかにいい話でCOCOスタート前から号泣ですからね。
COCOの日本公開は3月になってしまうようですが、ぜひ公開されたら観に行ってください。
日本公開時は2017年じゃなくなっちゃうけど、僕の2017年ベストムービーでした。
ちなみにCOCO観るまではT2トレインスポッティングがベストムービーだったかも。
どっちも同じくらい好きよ!
記録20171115:涙色の花束を君に
僕はその日『ルポールのドラァグレース』を観ていた。
それは週末で。その週はなんとなくパッとしない週で、金曜の夜に新しいクラブに行ったりしたけどそれでもパッとしなくて、とりあえず家に居た気がする。ただ落ち着かなかったのか、虫の知らせみたいな何かだったのか今でもわからないけど。とりあえずなんとなくザワザワしてた気がする。クラブに行く途中で友達に『ルポール~』の話を聞き、行ったクラブの壁にルポールの名言"If you can’t love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?"が書いてあってこれは運命かもしれないと土日観続けていた。
ら。
日本の友人から連絡があった。
共通の友人が、亡くなったとのこと。
亡くなった友人はゲイで、連絡をくれた子はその彼氏だった。
亡くなった人のことは友人というか、何かもっと複雑で複合的な関係だった気がする。干支一回りくらい年上ではあるけど、なんとなく気が合ったのか、家に招いて飯を振る舞ってくれたり、みんなで旅行に出かけたり、たまにゲイナイトに遊びに行ったり、誕生日を祝ったり。母であり兄であり友人でありなんだりかんだりみたいな……自分がゲイとして生きる指針みたいな感じの人だった様な気がする。これからのことはわからないけど、きっとああいう人は僕の人生において空前絶後的な存在なんだろうなと思う。
僕は20歳くらいで遊びに出るようになって約8年間新宿界隈をブラブラしてたけど、その直近半分以上を共に過ごしていたし、もちろんこれからも一緒につるんでいくものだと思ってた矢先。
あんまりその後数日のことはきちんと思い出せないけど、宙に浮いたみたいに現実感がなくて、セロファンか何かを通して世の中を見てるみたいだった。悲しい、というかそれ以前にあまりよくわからなくて受け入れられなくて理解ができなくて無感情だったような。たまたまシンガポールに来ていた共通の友人と話をして会社にも話をして帰国の手配をして。知らせを聞いた日曜日の数日後、葬儀の当日の早朝ギリギリに着く便。
知らせを聞いた日曜日から、ずっと眠れなかった。夜、寝ようとしても目がギンギンなのだ。興奮状態というのかなんなのか、年上の人が不眠で~みたいな話をしてても僕は無縁だなと思うくらいに僕は眠りについて悩むことはなかった。でも、こういうことか…!って思った。寝れない、ってこういうことなんだ。人生ではじめての経験である。いまいち眠りにつけない日は目を閉じて、人生で最も観ているであろう映画『八日目の蝉』を脳内で再生する。(業が深いな……)いつもは中盤(劇団ひとりが井上真央を抱くあたり)にいく前に寝てしまうのに、この数日間だけは脳内で何度も再生した。でも寝れなかった。
不眠も初体験だったけど、お葬式も初体験だった。正確には、小さい頃一度だけ、会ったこともない親族の葬儀に参加したことがある。遺影の顔は知らなくて、ただ母親に大人しくしているよう言われ、火葬されたお骨を知らない大人と一緒に長いお箸で持った、断片的な記憶。でも、きちんと知ってる人のお葬式ははじめてだった。
着るものとか、作法とか、持ってくものとか言うべきこととか、とにかくググったけどよくわからない!なんかもう流派?宗派?とかすごいいろいろあるしこれはすべきとかしなくてもいいとか人によって違うこと言ってるしその割に最終的には気持ちとか言うし!大変!これもプチパニックだった。そもそも喪服なんて持ってない。
いろいろ考えた挙句ネットでレンタルした。レンタル喪服。レンタル数珠。最近はなんでもあるな…って。あと伸ばしてた髭も剃った。
日本に向かう深夜便でも寝られず、日本に着いたらフワフワとスーツに着替えて葬儀場に向かう。現実味とかなかったけど、小さなお寺に着いたら、衝撃を受ける。
当たり前なんだけど、亡くなった友人の名前が入口に掲げられてあったから。
あ……え……本当なんだ……みたいな。いや当たり前なんだけど。でも猜疑心?というかこういうこの受け入れ難い!みたいな時の変な感情はなんていう名前なんだろう、なんかそういう感情がちょっと氷解してその中にある悲しい!がむき出しになる。
でもやっぱちょっとまだわけわかんない。本当?え?嘘?悲しい!よくわかんない!悲しい!本当?みたいな。回転寿司みたいにいろんな感情がバンバン流れてくる。やばい。どのお皿も食べたくない。
受付は訃報を連絡してくれた友人で、もともと頭の中で受付の人にご愁傷様ですとかこの度は残念な云々とか言う言葉を考えてたのに、何も言えなかった。恋人を亡くした友人にそんな定型文で何かを言うべきなのかがわからなくなって。それと、受付の後ろ側の座敷に控えてる参列者たちが座って項垂れてる姿。こんなに沢山の人が会して悲しんでいる姿を見るのははじめてだった。共通の友人も多かったから、知ってる人も沢山いた。その光景を見て頭の中が真っ白になってしまった。何も言えないまま座敷に通され、時間が来て、告別式を行う部屋へ通される。
お寺の入り口で受けたものと同じ種類の、でもその数百倍の衝撃を受ける。
遺影。
数か月前にシンガポールに行く僕の送別会をしてくれた。昔の誕生日会。みんなの誕生日会。離島に旅行に行った時のこと。スノボに行ったこと。2人乗りのリフトでした秘密の話。食べる顔。服を買いに行ったこと。旅行先でみんなで夜遅くまで話した時のこと。カラオケ。自転車に乗る姿。
すべて憶えてる。生きていた時の姿がありありと思い出せるのに、写真の中の友人は動かなかった。証明写真みたいな、スーツを着た姿で、生きてた時と同じ顔なのに動かなかった。
遺影が、お花に囲まれていて。住職が出てきて念仏を唱える。
この時の感情は、一生忘れない。
僕は、あまりにも衝撃的で泣くこともできなかった。
『死』がそこにあったから。
いままで頭の中でただの概念とか、ただの知識だったそれが現実になって、目の前に現れて、経験に変わってしまったから。その気まぐれさとか唐突さとか、圧倒的な存在感とか、いままで絵空事みたいに語られてた『死』が自分の中に入ってくるような感覚だった。その日まで、その瞬間まで僕が自分の中に抱えていた一切とはベクトルが全く違う概念だったと思う。暗い暗い絶望で、それは、深淵の端っこを撫でるような気持ちで。
大好きな小説によしもとばななの『アムリタ』がある。毎月のように読み返しているのだが、主人公の女友達が、親のコネで入った会社の上司と不倫をして、その上司の妻に包丁で刺されて怪我をする。その時のことを、その女友達が『いつも金属のピアスや指輪を身に着けているのに、刺された時ばかりは包丁が、自分とは違う素材であることに気づいた』と語るシーンがある。
異物感だった。大好きな小説のその部分を思い出しながら、自分の中に入ってくる『死』に対する異物感を抱えていた。いままでの人生で見てきた、感じてきた、触ってきた、どれとも違う、圧倒的な異物感。
衝撃で、それは今まで感じたことがないくらい大きな気づきの衝撃で、締め付けられるように頭が痛かった。ロキソニンを持ってないことを後悔するくらい頭が痛かった。
死ぬことは、ただ終わることじゃない。もっと膨大で、広大な様々を内包した現象。
自分の人生が終わるまでの時間を以てしても語りつくせない何か。
いつの間にかご焼香が始まる。前の人の真似をして、途中でふと顔を上げて遺影を見る。遺影と目が合う、ような気がする。動かない。あっ、死んでしまったんだ。居なくなってしまった。亡くなってしまった。終わってしまった。表現はなんでもいいんだけど、ついに何かが腹落ちする。やばい。いままででいちばん悲しい。
ご焼香は長い列になっていて、いつまでも終わらなかった。親族の方、友人、会社の人、友人、友人、会社の人、友人、友人、友人……友人多いな。僕たちだけじゃなく、本当にいろいろな人に愛されてた事実もまた胸を打つ。不謹慎かもしれないけど自分が死んだ時にこんな風に沢山の人が訪れるのだろうか?と疑問に思うくらい沢山の人がご焼香に来ていた。悲しい。悲しい。悲しい。大変である。
次はお花を……と係の人に案内される。棺桶を花でいっぱいにするのだそうだ。白と青のお花を受け取り棺桶に近づく。あ、宇多田ヒカルの歌、と思った。涙色の、花束を君に。『涙色』っていうのはこういうことだったんだろうか。宇多田ヒカルが母、藤圭子の葬儀について歌ったと言われている『花束を君に』。この日から、何度聴いても悲しくて涙が出る。
棺桶。遺体。白くて、ちょっと生きてた時より瘦せた顔。
もう話せないんだ、声も、僕を呼ぶ声とかみんなを呼ぶ声とか。思い出せるのに。
生きてること。ご飯を食べることとか寝ることとか、話すこととか働くこととか。すごく貴重なことなんだと思う。いつか、それができなくなる日が来るのだから。
何を言えばいいのかわからないまま手を合わせる。
ご焼香と同じで、お花も沢山の人が並んだ。手を合わせた人、見ていた人、話しかけた人、泣き崩れた人。死は等しく訪れるのに、死の解釈は皆違う。皆、どう思いながら、どう感じながら今日を迎えて、ここにいるのだろうか。
最後に棺桶を霊柩車まで運ぶ。親しい友人、ということで棺桶を持たせてもらった。
棺桶は冷たくて重くて、切なかった。
離れてく霊柩車。散り散りに帰る参列者。片付けが始まるお寺。
お祭りの終わりみたいだった。
それから、僕は昼も夜も沢山ご飯を食べて、その日の夜、数日ぶりに眠った。
暗くて深い、この世の終わりみたいな眠りだった。
その日からは、毎日眠れるようになった。
お葬式の翌朝、早く起きてしまって、亡くなった友人が住んでいたマンションまで行った。何度も何度も遊びに行って、飯を食わせてもらった場所。
もうここにみんなで集うことがないこと。
たくさんの思い出だけは、楔みたいに残っていること。
打ちひしがれてしまってその場で大泣きした。
ひとりで、早朝の都心で。いままで泣いたことがないくらいに泣いた。
人が居なくなることの悲しさをはじめて本当に知った。
亡くなった友人が僕に与えてくれた沢山のものを忘れないようにしながら、それを他の誰かに与えながら、きちんと生きていこうと思った。
生きて、生きて、一生この日のことを忘れない。
ドラマ20171010:GIRLS S1
こまめにブログ書こう♪って決心してから1ヵ月くらい放置してました。
有言不実行っぷりは墓場まで一緒なのかもしれないです。
唐突なんですが、女性向けアメリカンドラマ(雑な分類だな)の金字塔、セックス・アンド・ザ・シティの放送開始は1998年でした。ほぼ20年経っても変わらず愛されているのは流石です。
今更僕がストーリー説明することもないと思うんですが、NYで恋に仕事にがんばる4人の妙齢女子の物語です。
恋や仕事以上に、女性としてのライフイベントに焦点を当てていた点がウケたのかな、と思います。
ちなみに映画版の3はサマンサ役の方が難色を示し製作はなくなったとのこと。
僕も自分だったら60近くでセクシー(しかもお笑い)担当をやるのははちょっと嫌かな、と思います。
その後、The O.C.やデスパレートな妻たち、グレイズ・アナトミーなど様々なドラマがヒットするものの、ポストSATC的な存在は出現せず。
そんな中2007年にゴシップ・ガールが放送開始。
ゴシップ・ガールは僕も好きで、特にシーズン1は何度も観返してるくらい好きです。
個人的にはポストSATCって言ってもいいなと思っているんですが、どうなんでしょう。
あらすじとしては、NYの高級住宅街エリアであるアッパーイーストサイドのセレブ高校に通うセレブ高校生のセレブな日常~~~~~!!みたいな感じです。
やっぱり高校のこぢんまりした感じが良いのですが、途中から大学進学もします。
ゴシップ・ガールのよくできてるな、と思うところは、基本的に登場人物が超大金持ちなので(金持ちじゃない子もいるけど)、基本的に欲しいものはお金で買えないもの(イコール、人の心)なところです。
セレブ高校生の日常!とか言ってなんだかんだ主軸は色恋なところがよいですね。
シーズン1とかは人の心の移り変わりがすごく良くて見るたびに違う登場人物に感情移入しちゃいます。
脚本もすごい良くて、思わずアイフォンの壁紙にしたくなっちゃうような名言が多いです。名言の多さはポストSATCって言ってもいいんじゃない?って思いますがね。
そんなゴシップ・ガールの放送も10年前。
SATCが20年前だったことを考えるとそろそろ何か来ても良くない……?
って思ってた僕たち。たち?っていうか僕だけなのかも。
しかし意外な伏兵がおりましてん。
ガールズ。
いいタイトルですね。
2012年~放送で、今年ファイナルシーズンであるシーズン6が終了したそう。
NYに住む、4人の女子のストーリーです。
えー……?それってー!!?
って思うじゃないですかあ。
それってこれじゃーん……??
『ガールズ』は違う。
左から、ジェッサ、マーニー、ハンナ、ショシャンナ。
主人公はハンナ。大学を卒業しても親からの仕送りを受け、作家になる、という名目のもと無給のインターンをしております。そんなハンナが仕送りをストップされるところから物語は始まる。
ぜんっぜんSATCじゃないのね。もう全然主人公が自活とかしてない。
主人公がすっごいダメ人間。SATCもキャリーが自己嫌悪に陥ったりするけど、なんかもう自己嫌悪のレベルがダイアモンドと河原の石ころくらいレベルが違う。
ハンナはプータローで就職活動もするけど長続きしない。ボーイフレンドのアダムも変態だしそもそもボーイフレンドって呼んでいい関係なのかもわからない。ルームメイトのマーニーに家賃を滞納して、周りに文句を言ってばっかり。
マーニーはハンナのルームメイトで生真面目でちゃんと仕事もしてる。でも彼氏に物足りなさを感じて彼氏の愚痴をハンナに言ってばっかり。そのくせ周りには正論で意見するからぶつかりがち。
ジェッサはハンナとマーニーの友達。この子もプータローで世界中をフラフラしてて最終的にいとこのショシャンナの家に居候。目標や将来への意識が皆無で、異性にモテることやパーティーのことばっかり考えてる。
ショシャンナはジェッサのいとこで『セックス・アンド・ザ・シティ』を敬愛する処女。恋愛やセックスには並々ならぬ興味を示すものの、いざタイミングが来ると波に乗れないタイプ。
もー全員ダメダメ。ぜんぜんキラキラしてない。
主人公は別にバスに自分の顔写真の広告が載るような有名コラムニストじゃない。
かといって親がセレブなわけでもない。
ぜんっぜんキラキラしてない。
……でもよく考えて?
別に私らもキラキラしてなくない?
ガールズは彼女らの話でありながら、私らの話でもある、みたいな趣。
彼女らはぜんぜん豊かじゃない。ボロい家に住んで、大したことない飯を食べて。成功した誰かの陰口を言って。彼氏の不満を言って。でも出ていく彼氏を引き留めて。
夢は叶わない。仕事はない。仕事があっても上司にケツを揉まれる。仕事があってもクビになる。
友達は万能じゃない。イラつくこともいっぱいあるし、なってほしい時に薬になってくれるわけでもない。的外れなことも言うし結局はみんな自己中だし。
ガールズではSATCみたいに、毎回毎回ホットな男は登場しない。しょーもない彼氏だかセフレだかとダラダラしたよくわかんない関係が続いてく。
友達関係も、いちいち4人でブランチとかしない。必要な時に集まるだけ。時には居てほしくないのにルームメイトだから家に居る。
SATCじゃない、っていうか現代の、現実版SATCっていう方が近いかも。
世相ってこういうものに出るんだなって思っちゃうくらいアメリカではこのドラマがヒットしたらしい。鳴り物入りヒットではなく、SNSなんかでジワジワ流行っていったそう。
僕も最初はドラマに求めるものって、こういうリアルじゃなくて、殆どファンタジーみたいなイケメンとの恋愛とか、お金持ちワールドとか、そういうものじゃん~?って思ってた。
けど、ほんとしょーもない男に振り回されたり性病にかかったり仕事クビになったり、どうしようもない彼女らの人生に徐々に自分を重ねていく始末。。
(僕は性病にもなってませんし仕事もクビになってはいませんが。)
やっぱり日本の人が海外のドラマに期待するのって先の読めないシナリオとか、夢みたいに豪奢な生活とか、派手なアクションだったりするのだろうか。
そういう意味ではあんまり日本じゃ流行らない気はする。
地味にいいドラマだと思うので観てみてね。
1話約30分で1シーズン10話です。気軽に観れるね。
あと、主演のレナ・ダナムが脚本も務めてるのですが、すごくひとりひとりのセリフがいい。言語表現というか。
単なる若者言葉だけじゃなくて、ひとりひとりのキャラクターに合わせた言語の言い回しや造語をするのですごく英語の勉強になります。
この言語表現も良さの一つだと思うので英語で観るのをおすすめします!
僕は英語音声日本語字幕で観た後、英語音声英語字幕でもう一回観ます。
暇人かよ。
シーズン1ではハンナとマーニーはそれぞれのボーイフレンドとの関係性が主軸で進みます。
ハンナは失業してるしそこ必死になりなよ、、って思うけどそこで必死にならないのがハンナ。
ジェッサは自由奔放に生きる中で何かを見つけようとする、、のかよくわかんない感じ。
ショシャンナはとりあえず脱処女を目指す。
他のドラマみたいにコロコロ人間関係や状況は変わらないけど、そこがまたリアル。
個人的にはシーズン1ではショシャンナが一番好きでした。
明日からシーズン2観ます。
対してシーズン1の感想書いてるわけでもないけどシーズン2観終わったらシーズン2の感想書くのだろうか。
お金のかかった派手なドラマじゃないけど、休日とかにダラダラ観るのにおすすめです。
次回ブログまじ何書こ、、、
雑記20170911:映った鏡のいくつものヒビに文句も言えずに
最近めちゃめちゃヨガやってる。ヨガババアか、ってくらいやってる。
週6とかで、1日2クラスとか取るのでヨガとはいえ終わると脚がくがく。
でもいい。
暇だし。ドラクエもダウントンアビーもそんな何時間も続かないし。
ヨガは運動としてもいいんだけど、なんか自分を労わったり、自分を大切にしたりする概念が盛り込まれているのがすごくいいと思う。
自分を大切にするって結構先進的な思想だと思う。特に東京を一時離脱した今だからそう思う。
時間とか、お金とか、精神的な余裕とかないとできないし、やろうとも思わないし。
自分を大切にしている、と言うと自分のピアス穴を触ってしまう。
シンガポールはピアスの穴が開いている人も多いし、刺青を入れている人も多い。
日本とは比べ物にならないくらい多い。それが先進的なのかどうかはわからないけど。
台湾や香港に居た時も、ピアスや刺青をしている人は多かったと思う。
日本より確実に多いし、割と軽いノリで刺青とかもいれちゃう。
『今が良ければいい』的な思想がかなり強いと思う。
僕も左耳にピアスの穴が開いていて、それは約10年前に台湾にいたときに開けたものだ。
台湾人の友達にすごく軽いノリで誘われ、その時は周りに日本人もいなくて考える余地もあんまりなくてそのまま開けてしまった。
その数年後に、日本で、付き合っていた彼氏にピアスの穴が開いていることについて言われたことがあった。
『ピアスを開ける奴とか、刺青を入れる奴とか、自分を大切にしていない人間の証拠だ』と。付き合ってる人にわざわざそういうこと言うかな。
彼は結構典型的なザ・日本人というタイプの人で、僕も、あ、日本人は自分を大切にしているからピアスや刺青のハードルが高いのかな、と思わされた。
その彼は日本的な企業に所属して、家族関係とかも含めゲイであることに相当悩んで不眠症になっていたけど、彼が本当に自分を大切にしていたのかはいまでもよくわからない。
確かに、『自分を大切にすること』って国籍とか民族で相当に乖離がある概念だと思う。
日本では、和の中にいる自分を保つことが一番強いのかなと感じることがある。
ピアスや刺青を入れるときの文句で一番多いのは『親から貰った体に』だと思う。
僕は特に刺青を入れたいわけではなかったけど、そこに、親とはいえ、他者が出現することが不思議でならなかった。
他者との関係性上におかれている自分や、他社から見た自分をいかに健やかに保つかみたいな部分が強いと思う。
やりたいことをやること、よりやるべきことをやること、が自分に直結すると考えられている気がする。これはこれで一つの正解なのかな。
もちろんこれは人によっても違うし、最近の若い人は特にもっとアバンギャルドな価値観で生きてると思う。
中華系の人の多くの思想は共産主義とか社会主義の国家思想に影響を受けていると感じる。
結局共産主義や社会主義は個を失わせる思想なわけで、そこに身を置いていた人は『自分』という概念が比較的希薄になる。
『自分を大切にする』ことが困難になりがちなバックグラウンドを持った人が多い。
そこにそもそも現世至上主義な道教の教えが加わっているからより刹那的になりがち。
とか、推測推察でしか言えないけど、でも、そもそもあんまり彼らはピアスを開けたり刺青を入れることについて自分を大切にしてないとは思ってない。と思う。
逆に自分を誇る手段のひとつにしているのかな、とか思ったりする。
彼らにとっての自分を大切にすることっていうのは、今その時の自分を最大限に誇れるようにすることなのかなと思う。
誇る、手段はそれぞれだと思うけど。そこにはやりたいことをする、っていうのが含まれている場合が多い。それも正解だと感じる。
日本でもいまモリモリとありとあらゆる手段で『自分を大切にする』ことを啓発することが流行ってるし、そもそも健康ブームとかもその一環だし。
変換期なのかなと感じる。『自分』に直結するものなのでそれぞれの答えがあっていいと思うのだけど。そもそも『自分を大切にする』ことについてもっとみんないろいろ考えたらいいのになーと思う。
他者から見た自分も大切だけど、自分にとっての自分も大切だし。
日本人がそういうバランス感を得ていく時代のような気がします。
ちょっと今回散漫な感じになってしまった。。。